TALKING ABOUT ARCHIVES Vol.30
アーカイブによって育まれる視点(前編)
モードからストリートまで、現在のファッションとは切り離せない存在である“アーカイブ”。“アーカイブ”というジャンルは、勿論ファッションだけに限らず、雑貨や生活必需品に日用品など様々なものが含まれています。今回は、小木“POGGY”基史氏が、古着のみに留まらず家具や雑貨なども取り扱う中目黒のジャンティークのオーナーである内田斉氏と対談を行い、現在のファッションとアーカイブの関係性を探りました。
--- 先ずはPOGGYさんから見たジャンティークというお店の印象を教えて頂けますか?
POGGY「日本の古着屋さんって年代毎に綺麗に陳列している古着屋さんが昔は多かった気がするんですよ。海外の古着屋さんは、自由に並べているというか、抜け感じゃないですけど、何も考えていないようにディスプレイしている格好良さってのがあるじゃないですか。それって中々真似出来ないんですけど、ジャンティークさんには元からその感じがあるんですよね。店内が広いので、沢山の物が置けるっていうのもあるかもしれませんが、年代もジャンルも超えて、凄いミックスなんですよね。1900年代初頭とか、1800年代後半のものとかもありますよね?」
内田「若干ですがありますね」
POGGY「それでいて80年代や90年代のアイテムもありますし、ジャンルも、ワークにエスニック、ミリタリー、スクールなど色々ミックスされていますよね。なかなか幅広い知識がないと、普通はいっしょくたに出来ないですよね。陳列も内田さんがいつもやられているんですか?」
内田「はい、ウィメンズ以外は自分がやってます」
POGGY「確かに、ウィメンズもありますもんね。普通、このミックスは出来ないです。アメリカものに特化してるところや、ヨーロッパヴィンテージ専門っていうところはありますけど。ドレスシャツ一つとっても、アメリカのブルックスブラザーズのものもあれば、イギリスのターンブルアンドアッサーという老舗のシャツも置いてあるし。僕が生意気言える立場じゃないんですけど、今のセレクトショップが大切にしてきたもの、裏側にあるものってのがかなり網羅されているので、見て触るだけでも勉強になりますよね」
--- 今POGGYさんがおっしゃられていた、ミックス感というところは、ジャンティークをスタートした当初から、内田さんは意図されていた部分なんでしょうか?
内田「そこは最初から意図していました」
--- ジャンティークはいつオープンされたんですか?
内田「2005年ですね。今年で15年」
POGGY「内田さんは、日本の古着屋さんと海外の古着屋さんの空気感の違いみたいなものを感じていましたか?」
内田「そうですね。自分が前職のサンタモニカの時、アメリカに一回のバイイングで2ヶ月くらい滞在していたんです。それを年に二回やっていて。そうすると約4ヶ月くらいアメリカにいるので、 週末は休みだから出歩くじゃないですか。フリーマーケットとか、アンティークモールとかこう、いろんなところを回って。そうするとだんだん生活してるものがどうしても気になってしまって。アメリカ人の生活ってものに興味が湧くんです。たまに、今日家開けるから来てよみたいな、自分の家をそのまま開放するような売り方をする人もいて。それがなんか凄い素敵だなと思っちゃって。普通にコーヒーを飲みながら自分の家にお客を呼び入れるっていう発想でやってみたいと思って、家を引っ越しするように、始めたのがきっかけですね」
--- 良い意味で、雑多に混ざってる、人の家の中のようなスタイルというのが根本にあったんですね。ジャンティークが長年お店を続けている中で、変わらないスタンスと、変わったスタンスをそれぞれ伺いたいです。
内田「元々、洋服を洋服だけで紹介するっていうのに限界があるんじゃないかって感じていたので、家みたいな感じのお店で、置いてあるものは全てを売り物にするというやり方でやっていて。洋服は一番の得意分野なので後回しにして、ボタンとか、額とかそういう身近にあるものからスタートして。今でもその辺は変わってないですね。変わったといえば、このコロナ禍ということでWEBで売るっていうことを4月から始めました」
--- それまでは店頭だけでの販売スタイルだったんですね。実際にWEBでの販売に着手してみていかがでしたか?
内田「そうですね、、やっぱり手売りするのを、商売でやってたんで、ちょっと毛嫌いしている感はあったんですけど、やってみたらお店と一緒で、お客さんの顔が見えてきたので、あ、こういう感じなんだ ということで、ちょっと続けていこうかなぁとは思ってますね」
--- WEBでもお客さんの顔が見えるというのは、どういうところでなのでしょうか?
内田「例えば、前の日が休みで、お店に来てみたら商品が売れて無くなっていたりすることってあるでしょ? それを僕は“落ち葉を拾う”っていうんですけど、落ち葉を拾うように辿るっていうのは、お客様がどういう風に見たかっていうのを想像することなんですけど、ネットでポチっていてもその人の顔を見ながら、この人このサイズいったんだなって想像すると、同じ落ち葉の拾い方ができるなと分かって。初めてのお客さんは分からないですけど、だいたいインプットしているんで、お店に品物を出す時点で、これを買っていくのはあの人かな、この人かな、って思うのも、ネットに出すのも似てるというか、同じようなことだっていうのが少し分かってきて。まだ半年もやってないですけどね」
--- 成る程。そういう共通点はありそうですね。ちなみに、内田さんは今の時代のファッションをどのように見ていらっしゃいますか?
内田「どのようになんだろう…」
POGGY「僕はAB型なんで、まだ乗り切れてるとこあるのかもしれないですけど、疲れる時もあるんですよ。不動産的な感覚でファッションに接するような傾向があるじゃないですか、スニーカーとかもそうですけど」
--- 投資目的のような。
POGGY「ヴィンテージもそれはそれで、現在のファッションの形の一つとしては良いと思うんですけど、そこばっかり追いかけていると疲れてきちゃうことがあるんですよ。でも、ジャンティークに来ると、本来の服の楽しみ方みたいなものをリセット出来る感じがするんですよね。内田さんがそういうところに全く関係ないところにいるから、保ててるとは思うんですけど」
内田「そういうことなんですね。関係してるかわかんないですけど、僕自身は、選びたいんですよ。選べない人が多いと思っていて。ポカンってここに入って、あれ?っつってすぐ帰る人が多くて。去年、群馬に内田商店ていうお店を出したんです。元々、中目黒に倉庫があったんですけど、そこを群馬に引っ越したら、物件が広過ぎたのでお店にすることにして。内装屋さんにお願いして、中目黒にあった倉庫の棚も全部持ってきて、見せる倉庫みたいなお店にしたんです。そしたら、意外とお客さんは、それは見たいって感じで、階段を昇って選ぶんですよ。意外と若い子も選べるんだなって思って。それは元々構想してたものじゃないんですけど、内田商店を作ったことで、若い子たちにも自分で選ぶ楽しさを感じて貰えたのかなって。良かったです」
--- 内田商店に来ているのは、地元のお客さんが多いんですか?
内田「そうですね。去年とかは勿論地方からのお客さんも多かったけど、ここ最近はコロナ禍って事もあって、地元や近隣の方が多いですね。自転車で来られたりしてますね」
--- 良いですね!SNSなどが発達して、情報の伝播に優劣はないでしょうけど、いわゆる都会とは少し距離のある場所だからこそ、若い子たちでも自分たちのスタンスでものを選べるというところもあったりするんですかね。
POGGY「それもあるかもしれないですね。レディメイドの細川さんや音楽だとWILYWNKAみたいに、大阪にいながらも東京や全国的に影響を与えてる人もいるじゃないですか、距離感が逆に良い形で働いているんですかね、正体が謎めいてる感じ。沖縄に面白いラッパーがいたりとか、東京にいない人の方が逆に面白くて活躍できる土壌も感じますよね。東京にいると、その枠の中のルールに染まっちゃったりとかするのかもしれませんよね。やっぱり自分で選ぶって大切ですもんね。勉強になるな〜」
小木“POGGY”基史
1976年生まれ。1997年に「UNITED ARROWS」でアルバイトを始め、プレス職を経て2006年に「Liquor,woman&tears」をオープン。2010年には「UNITED ARROWS & SONS」を立ち上げ、ディレクションを手がけている。2018年に独立し、昨年リニューアルオープンした渋谷PARCO内の「2G」のファッションディレクターを務めるなど、新たな動きにも注目が集まっている。
内田 斉
1969年生まれ、群馬県出身。原宿の老舗古着店「サンタモニカ」で18年間勤務。独立し2005年、中目黒に「ジャンティーク」を立ち上げ、古着だけにとらわれず、様々なアーカイブを展開するスタイルが、ファッション業界を中心に絶大な支持を集める。2019年、地元・群馬県高崎市に2号店「ジャンティーク 内田商店」をオープン。今年の3月より「ジャンティーク」のECもスタートさせる。
Photo_ Shiga Shunsuke
Text_ Maruro Yamashita