TALKING ABOUT ARCHIVES Vol.24

小木”POGGY”基史が読み解く、アーカイブとファッションの関係 vol.03 feat. 藤原裕(BerBerJin)(前編)

 モードからストリートまで、現在のファッションとは切り離せない存在である“アーカイブ”。“アーカイブ”という存在がブランドのクリエイションにどのような影響を与えているのか、小木“POGGY”基史氏が対談形式で読み解くこの企画。第三回目のゲストは、ヴィンテージデニムに関して、あのリーバイス®が頼りにする存在であるBerBerJinの藤原裕氏。ヴィンテージ好きなら誰しもが訪れる、原宿のとんちゃん通りにあるBerBerJinより二人の対談の模様をお届け致します。

--- 先ずは藤原さんとPOGGYさんの出会いなどから教えて頂けますか?

POGGY「元々僕が、原宿のとんちゃん通りにあった、UNITED ARROWS(以下、UA)のBLUE LABEL STOREっていうところで働いていて。お店がBerBerJinの斜め向かいにあったんですよ」

藤原「今はセブンイレブンになっているところですね」

POGGY「当時って、古着 = 安いっていう概念だったんですよ。でも、BerBerJinの地下に置いてある古着っていうのは、高価なものが多くて。当時の自分は全然お金が無かったんですけど、ユタカ君に色々と古着の話を聞いたり、自分もやっぱりいつかこういうヴィンテージが欲しいなって思って昼休みによく来ていたんです。あと、リーバイスの“606”っていうスリムタイプのジーンズがあって、それは当時他のお店では全然推してなかったんですけど、ユタカ君たちは早かったよね」

藤原「そうですね、自分も元々穿いてましたし。僕はリーも好きで、リーにも同じ形の、いわゆる細いのがあって。それを穿いてる時にバッタリ原宿の鳥良で小木さんと会って、「今日穿いてるの何それ?」って言われて、「リーなんですけど、“606”と同じやつです」、で「良いよね」ってなって。そこから一緒に仕事を取り組むことになって」

POGGY「UAが毎シーズン、リーバイスとコラボしていて、その当時自分は販売員だったんですけど、バイヤーの人に「“606”っていう面白いのがあって。BerBerJinの人から聞いて、BerBerJinとリーバイスとUAでトリプルコラボレーションみたいな形でやったら面白いんじゃないですか?」って話をしたら、実現したんですよ(笑)。結構売れて」

藤原「いやもう凄かったですよ。1000本即完しましたね」

--- 1000本!?

藤原「UAさん800、うち200みたいな(笑)」

一同笑

--- 今だったら大手のセレクトショップさんと古着屋さんとブランドでのトリプルネームもありそうですけど、当時って10年以上前ってことですよね?

POGGY「15年くらい前ですね」

--- だいぶ早い動きですね! 藤原さんはBerBerJinではいつから働かれているんですか?

藤原「自分は21歳からですね。なので今年でちょうど20年を超えました」

--- 元々別の古着屋さんとか、他のアパレルとかで働かれていたんですか?

藤原「いや、BerBerJinだけです。うちがちょうどこの間で22周年を迎えてたんですけど、元々は竹下通りの1本裏の路地にあって。そこに自分はお客として通わせてもらってて。今の代表、副社長が、当時立ち上げたお店で4坪くらいのお店だったんですけど。そこに通わせていただいてて。その頃、移転を考えてるっていう話を聞いていたので、働かせてくださいってお願いしたんです。当時の自分は、入社した会社を辞めてから、ずっとフリーター的な感じで、どうしても古着屋で働きたいと思っていて。しかも、原宿でしか働きたくなくて。やっぱり原宿が中心だったんで。運良く代表と副社長に気に入ってもらえていたので、じゃあ移転が決まったらっていうことで、働かせてもらうことになりました」

--- 藤原さんはヴィンテージだったり古着といったものにどのようなきっかけで興味を持たれたんですか?

藤原「94、5年からですかね。中学生後半の時にはもうアメカジに興味があって。高校に入った時に、一つ上の先輩で物凄いお洒落な人がいて。当時から有名で、ヴィンテージのデニムを穿いて、古いバイクに乗ってたりして。その先輩の家に遊びに行かせてもらうと、部屋の押し入れの中にナイキのスニーカーがもうブワーってあったり、デニムが積んであったりして(笑)。それで、自分もその先輩に連れて行ってもらう感じで、高知県に当時3店舗くらいあったヴィンテージを扱っているお店にこまめに通わせてもらうようになったんです。その時に色々と教えて貰ったことで更に興味を持って、そのまま仕事になっちゃったって感じですね」

--- 当時のファッション的なトレンドの中で、ヴィンテージというカルチャーは大きな物だったんですか?

藤原「僕はファッションとしては当時見れてなかったとこがあったんですよね。当時って雑誌がやっぱり全てで、雑誌を開けば毎回古着のページがあって。それを見ながらデニムをモノとして勉強して行きました。音楽とかも全く聴かなかった方なんで、本当に先輩に影響受けてモノありきで。
その頃は雑誌を見れば、芸能人の方もJリーガーの方々も皆古着、ヴィンテージのデニムを穿いて、スウェットにレッドウィングを合わせてっていう時代で。そういう、ザ・アメカジっていうところに僕もどハマりしたので。ウエスト40インチのパンツをギュンって絞って穿いていれば格好良いみたいな。東京には18歳の時に来て、裏原も流行ってましたけど、自分はそっちには一切いかずに」

--- 当時からブレていないんですね! 長年古着を掘っていらっしゃると思うんですが、もう掘り尽くしたな、という様な感覚はあるのでしょうか?

藤原「古着屋で働いている以上、一応全ジャンル勉強しておかないといけないと思っていて、デニムに関しては、周りの方々のおかげもあり、なんとか掘り下げて来れました。でも、たとえばミリタリーだったら、またとんでもないマニアの方が居る訳で。そういう方々に納得して貰える時って、その方が欲しいやつを出した時なんですよ(笑)。そうなると、そのジャンルのことを凄い教えてくれるので、そこで僕も改めて勉強させて頂けるんですね。なので、なかなか全ジャンルに精通出来る訳じゃないですけど、各ジャンルのマニアとしっかり繋がれているので、情報共有は出来ているし、本当に掘り下げれている状態になれていると思います」

--- POGGYさんは昔それこそ地元にいらっしゃった頃とか古着とか掘ってたりしてらっしゃったんですか?

POGGY「自分もBoonとかを読んで古着に憧れていましたけど、やっぱり高くて… あと、90年代ってセレクトショップのオリジナルアイテムもあったんですけど、今程は無かったので、インポート品か古着かデザイナーズみたいな時代で。セレクトショップのオリジナルも、今はもっとデザインされた洋服がリソースになっている場合もありますが、最初は古着を元に作っていたんですよね。“501”だったり、完成されたものの、ここがもうちょっとこうなってたら着易いのにね、みたいなのをオリジナルで作っていて。だから、本当のルーツっていうのはこういうところにあると言えると思います。
古着屋の方々って、ディテールのこととか、生地とか、自分たちよりも全然服に関して詳しかったりしますよね。服の歴史とかも」

藤原「そうかもしれないですね」

POGGY「あと古着屋の方々って、倉庫に行って袋の中にバッと手入れて触った感覚だけで分かるんだよね(笑)? この年代のやつだとか」

藤原「まぁ触っただけでってまではいかないですけど、色を見て「ん?この色は怪しい」とか。見ただけである程度見分けることは出来ますね」

POGGY「古着って、この年代はこういうことが流行ってたからこうだろうとか、歴史を調べてかないとダメで」

--- 当時の人達の暮らしを想像しながら、当時の洋服に思いを馳せる訳ですね。それこそ、洗剤の変化によってこの年代からはこう違う、とかありそうですよね。

藤原「時代背景によって変わってきますね。洗濯機が出てくるとか、乾燥機が出てくるとか、そういうので。アメリカで乾燥機が一般的になるようになった後は、縮んでるものが多かったり」

--- ヴィンテージのデニムだったりをこれだけきちんとアーカイブしている人達が多いのは、日本が特別という感じですか?

藤原「やはり特別ですね。マニアとかコレクターは勿論海外にもいらっしゃるんですが、ヴィンテージについての調べ方は日本人ならではのこだわり方だと思います。たとえば、僕がリーバイスのヴィンテージについての本を一緒に作っているパートナーなんかは、調べ方がもう違うんですよね(笑)。ネットとか過去の資料だけじゃなく、現物も絶対に参照するんです。
そのパートナーとの間では、あるヴィンテージを鑑定する為には、全く同じものが5着あれば確定だっていう話をしていて。1着や2着、見たことのないディテールのものが現れても、エラー、所謂B品だったりすることもありますし。現物と現物を見比べて、調べ尽くすんですよ。そういう風に掘り下げていくのは本当に日本人ならではの気質かもしれません(笑)」

--- そういった、非常に稀少なヴィンテージアイテムが今もフラッとスリフトとかで見つかる可能性っていうのはあるんでしょうか?

藤原「アメリカから買い付け中にポロっていうのは、まぁないことはないですけど。でもだいぶ少なくなってきますね…」

--- では、ここからはお持ち頂いたアイテムについて一点ずつお話を伺えればと思います。

藤原「これは12、3年前に手に入れたリーバイスの、通称“1st”って呼ばれている<506XX>。1941年頃のモデルですね。手に入れたときは実はワンウォッシュで、真っ紺紺だったんですけど、12年着てたら(笑)。今でこそ色落ちしない洗剤が売ってますけど当時はそんなの無かったので、ガンガン洗っちゃってたんですよ」

藤原「このモデルのことは、お店でお客様のおじさんに教えてもらったんです。その方は、大きい“1st”を探していると仰っていて。背中にハギが入ってる大きなサイズの物をどこかで見たことがあると話していたんですね。ハギってなんだろう? と思ったんですけど、買い付けでアメリカに行くので探してきますと約束したんです。そしたら、HTCのジップ・スティーブンソンさんに、私物の“1st”を持っていませんかって聞いたら「あー、デッドストックがあるよ」って、サイズ50のデッドストックを見せてくれたんです。そしたら、後ろに線が入ってて、あ、これのことかと思って。サイズが大きいから、生地の横幅が足りないみたいで、真ん中にハギを入れてるみたいで。単純に見た目が格好良いですよね。お店にも仕入れたんですけど、自分でも欲しくなって探してたら、「こんなでかいサイズ売れないから良いよ、藤原くん」って薄い“1st”を売ってもらったのが、最初の一着でした。3万円で買いましたね」

藤原「そこから着ててたまに雑誌から取材受けたときに、後ろから見てTっていう文字に見えるのが格好良いですってずっと言ってたら雑誌のライターの方が間違えて「Tバック」って書いちゃったんですよ(笑)。そこから、マニアとか好きな方の中で通称“Tバック”として広まって。サイズが46以上の“1st”には後ろにハギが入るってことが分かったんです。
サイズが大きいもののパッチには“506XX E”と、EXTRAって意味でのEが入って、44くらいからEが付くんですけど、後ろがTに割れてるのがサイズ幾つからっていうのは、リーバイスの当時のカタログやプライスリストにも書いていなくて。僕が自分で何着も何着も見て検証したところ、46から割れてるっていう結論になって。でも、50年代に入ると46では割れてなくて、48からだったりして。リーバイスのサンフランシスコ本社で、リーバイス・ヴィンテージ・クロージング(LVC)のデザイナーのポールさんにも僕の私物を4着見せて、実はTバックってこうですってのをお伝えさせて貰いました」

--- 今のファッション的なサイズ感でみると、とてもちょうど良さそうなサイズですね!

藤原「サイズ46って数字で聞くとXXLくらいなイメージなんですけど、リーバイスの“1st”の場合は横に拡がっていくだけなんですよね。僕のこれは縮んでるっていうのもあるんですけど、全然このサイジングで着ても大きさ感じないっていう」

--- 今見ると、ちょうど良い雰囲気ですね。こういうヴィンテージを探しにくるお客様に対して、いわゆるファッションのトレンドでのサイズ感の変化は関係してくるものなんですか?

藤原「たまたまですけど今この大きめファッションが来た流れでこれと同時に値段も跳ね上がって来てます。5年前はまだ、3、40万円でいけたのに、ついこないだ高円寺の古着屋で売れたのは200万円でした」

一同「おぉぉ」

藤原「どこまで上がっていくのかっていう」

POGGY「昔だったら皆“1st”はジャストサイズで着るのが流行ってたんで、逆にこれとかは皆要らないものだったんですよね。ユタカ君は、そこに目をつけて、自分で調べ上げて、それをメディアを通して伝えることで、価値を上げていったんですね」

藤原「小木さんに、「このTバック買っといてください」っていうタイミングが何回かありましたよね〜(笑)」

POGGY「当時の自分は買えませんでした(笑)。今だったら絶対買う(笑)」

POGGY「この“507”、通称“2nd”は更に大きいよね」

藤原「これを手に入れたのは4、5年前なんですけど、存在自体は15、6年前に一度だけ薄いのを見ていて。「藤原さん、“1st”のセパレート着てますけど、これ“2nd”でセパレートなんです」って、“2nd”のTバックをお客さんがお店に持ち込んで来て。その時は、うわー酷い形だなと思って(笑)。全然高値では買い取れなかったので、そのまま買い取り自体が流れて。結局それ以来ずっと見たことなかったんですけど、たまたま出てきて」

POGGY「現行のバレンシアガみたいな雰囲気があるよね」

藤原「“2nd”は“1st”よりも着丈が短いんですよね。“1st”の頃は平に置いたときに真横に袖がくる作り方で、作業着として作られていたのでアームが太めに作られています。“2nd”の場合は、50年代に入ってからはファッションアイテムとして作っているので、袖が下のほうに傾いていて、アームを狭くしていて。形とかシルエットっていうのは“2nd”の方がやっぱり格好良いというか、綺麗なのかなと。ただ、アームを細く作っているからか、着丈が短く感じるし、あとは縮んでしまったときにこうやって丈が縮むことが多いんですよね」

--- けど、この“2nd”は元々のサイズ感が大きい、Tバックだから、着てみると今の気分にぴったりなアイテムになるんでしょうね。

藤原「“1st”、“2nd”と来て、これが“3rd”ですね。ここから形が全く違う形に変わっていて、これがいわゆるリーバイスのデニムジャケットの完成形ですね。ここからの時代この形がずっと続いていきます。“3rd”は品番が“557”というモデルで、大きいパッチがついてて、あと着丈が少し短めなショートタイプ。そこから60年代後半になって、品番が“70505”になったのがこのジャケットです。昨年久しぶりに渋谷のサンタモニカに寄った瞬間にラックにかかっていたんですよね。オリジナルに70年代のエロいワッペンが付いていて、子供の前で絶対着れないやつなんですけど(笑)。こういうのって洋服通の人に見せると喜んでくれるんですよね(笑)」

藤原「パッチがちょっと細くなって、着丈が長くなったり、ウエストのシェイプがちょっとこうキツめになっています。なので、着丈のこと気にされる方は“3rd”より、まぁ“4th”って言い方して良いんですけど、この“70505”の方が良いかもしれませんね。ただ、“557”にはこれまでにはなかった、ロングバージョンの“558”っていうのもあって。それは物凄い数が少ないんですけど、それが“4th”の時代にも継続されていて、通常の“70505”以外に、ロングバージョンで“71205”っていう品番が存在しているんです。これはパッチが割れちゃっているんで読めないんですけど、明らかに着丈と袖が長いんで、“71205”だなと」

--- お幾らだったんですか?

藤原「2万6000円ですね。ちょっと高いなって一瞬思ったんですけど、でもロングだしなと」

POGGY「出てこないもんねぇ」

藤原「小木さんは以前から“3rd”をジャケットの下に着られてましたし、このロングバージョンの話題はよく出ますよね」

藤原 裕/Yutaka Fujiwara

日本を代表するヴィンテージショップ、BerBerJinのディレクター。とりわけヴィンテージデニムに関する知識に定評があり、2015年にはヴィンテージのリーバイス501についてまとめた書籍『THE 501®XX A COLLECTION OF VINTAGE JEANS』の共同監修も務めている。2018年からは、ヴィンテージデニムの魅力を伝えるべく、自身のYouTubeアカウントも運営中。
https://www.youtube.com/channel/UCexbqeATcS0nViTHqOzJYLg

小木“POGGY”基史

1976年生まれ。1997年に「UNITED ARROWS」でアルバイトを始め、プレス職を経て2006年に「Liquor,woman&tears」をオープン。2010年には「UNITED ARROWS & SONS」を立ち上げ、ディレクションを手がけている。2018年に独立し、昨年リニューアルオープンした渋谷PARCO内の「2G」のファッションディレクターを務めるなど、新たな動きにも注目が集まっている。

Photo_ Shiga Shunsuke
Text_ Maruro Yamashita

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