TOLD BY TOSHIKO TAGUCHI RECALL: RAF SIMONS 2

『MRハイファッション』の編集長が出会ったデザイナー。 「初めて見たラフの顔は、リモージュの人形のようだった」

「ラフがジル・サンダーのクリエイティブ・ディレクターに就任する頃、レディスとメンズの両軸を持つ雑誌にシフトした『ハイファッション』に携わった私は、長年メンズの時期に行っていたミラノコレクションを、レディスにスイッチしました。1月と3月、二ヵ月おいて両方のコレクションに出向くことは、進行上とても無理があったのです」

田口さんが編集長に就いた『ハイファッション』リニューアル号(2005年6月号)の、特集タイトルは「インディビジュアルな白」。その中で「白のポートレイト。」という、12名の俳優、女優、ミュージシャン、プロデューサーらの肖像を、白一色のコーディネイトで撮り下ろすページがあった。そこに当時、自身の顔をおおやけに登場させることをほとんどしてきていなかったラフ・シモンズの、稀少なポートレイトがある。

「このページのスタイリングを手がけてくれていた二村毅さんから、ラフが、写真家のデイヴィッド・シムズとコラボレートした写真展『isolated heroes』の開催に合わせて来日しているから出演のオファーをしてみてはどうかという打診があったのです。私は正直、99.9%の確率でNGだろうと思っていました。以前、『MR』で、アントワープで取材して構成する7ページの、ラフのアトリエ特集のときも、写真がOKなのは後ろ姿と、輪郭もほとんどわからない全身に引いた横顔のみ。徹底して顔を出すことはなかった彼ですから。しかし、私が出した依頼状に、彼は即答で快諾の返事をくれたのです」

『MR』がひときわ大事にしているのが著者や出演者を紹介するテキストだ。その人の出自や資質を、限られたスペースと文量の中に濃縮して伝えるショートインタビュー式のプロフィールに、その時ラフが語った言葉がそのまま記されていた。「かつて『ミスターハイファッション』が、僕を長い間サポートし、すばらしいページを作ってくれたことを感謝しているし、その編集長だった人が今度は『ハイファッション』のリニューアルに挑戦しようとしている。僕がルールを破って、今回登場するのは、今までのお礼として僕からのささやかなプレゼントです」(同号から引用)

撮影の現場に立ち会うことは叶わなかったが、後日、東京のあるミーティングルームにいるラフを訪ねて挨拶を交わしたのだという。その直前に、写真家の守本勝英さんが持ってきてくれたラフの顔のアップのポートレイトをみて、「まるでリモージュの人形のようだと思った」という。「少年のアンティーク・ドール。面相筆で一本一本描いたような眉、陶器のような肌、彫り込んで造形したようなブルーアイ……。これが、ラフ自身の顔を初めて見た瞬間でもあり、そして、リニューアルという使命を課せられた仕事に向かう私を勇気付けてくれる、この上ないエールをもらうことのできた瞬間でもあったのです」

二度目の再会はミラノだった。「2006年3月、ラフ・シモンズがクリエイティブ・ディレクターに就任して初めてとなるジル・サンダーのレディスのショーを観ました。その頃のジル・サンダーの日本の代理店の広報部長とプレス担当の方と、身内の新たな挑戦を、期待しながらも心配するかのように、ハラハラしながら会場に向かったことを覚えています。彼がどんなジル・サンダーを表現するのかまったく想像がつきませんでしたし、ジルによる、ジルの服には、わかりやすい、あるいは継承しやすい特徴的な“型”や“デザイン”がほとんどないから。しかし、そこでラフの、クリエイターとしての類い稀な才能を、たった一度のショーで見せつけられたのです」

「創設デザイナーであるジル・サンダーの服は、私にとってヨウジヤマモト、コム デ ギャルソンと並んで長く愛用するブランドの三本柱。また日を改めて話したいことがたくさんあるけれど……」と、田口さんは、ラフによるジル・サンダーの2006年秋冬のレディス・コレクションを掲載した『ハイファッション』のページに目を向けながら話す。

「ジル・サンダーの服の特徴は、単にデザインが先行するのではなく、オリジナルで上質、まだ誰もやっていないテクノロジーが融合している素材開発からスタートしていること。そして“寡黙でストイックなラグジュアリー”だと思っています。ラグジュアリーやエレガンスは決して一律ではありません。彼女は“ラグジュアリー”の既成観念を変えた。そのことを理解しているのはおそらくごく少数の人。しかし、ラフが手がけたショーのファーストルックから最後のルックまでのいたるところに、ブランドが有する本質をきちんと見抜き、共感し、深く理解しながら、ひとつまみのエッセンスとしてラフの自己投影を垣間見ることができた。フィナーレを迎えたとき、ラフがこのメゾンを受け継ぐことの喜びと祝福の気持ちを伝えたくて、日本人のデザイナーのショーでも普段はほとんど訪ねることのないバックステージに向かっていました」

田口淑子 Toshiko Taguchi

1949年生まれ。『MRハイファッション』と『ハイファッション』の編集長を務め、現在はフリーランスのエディター。

Text_ TATSUYA YAMAGUCHI


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