TOLD BY TOSHIKO TAGUCHI RECALL: HEDI SLIMANE 1

『MRハイファッション』の編集長が出会ったデザイナー。「エディ・スリマンが発する“周波数”を発見した」

1991年から2003年まで『MRハイファッション(以後、MR)』、のち、『MR』を統合するかたちでリニューアルした『ハイファッション』の編集長を歴任し、世界中のモードを真摯に捉え続けてきた田口淑子さんをほぼ1年ぶりに訪ねた。

「プライベートな交遊を深めすぎるとニュートラルになれなくなるから」と、あくまで取材を介して、誌面で稀代のデザイナーたちの創造力やパーソナリティに触れてきた田口さんが、同時代を体感したひとりの編集者として当時を回想し、彼女が体感した“エピソード”をアーカイブするように連載形式で共有していこうというこの企画が、『OR NOT』でスタートするからだ。インターネットの海から掬い上げることのできる情報ではなく、経験に基づいたパーソナルな視点から語られるオーラルヒストリーである。

「この号の中で……」と、田口さんはおもむろに本棚から『MR』を取り出してきた。創刊20周年を記念した号(2001年12月号)の大特集として、国内外の約50人のデザイナーに、ポラロイドでの写真の撮り下ろしと、FAXでインタビューを依頼する企画があった。表紙からパラパラとめくると、A to Zの順番に、モードの時代を体現するデザイナーの名前が続いている。彼女の手が止まったのは74ページ目だった。

見開きの左ページは、エディがポラロイドで撮影した、高天井の大きな窓から光が入ったクラシカルな部屋に佇む少年の静謐なポートレイト。右ページは、ぎっしりと文字で埋め尽くされた、当時はディオール オムのクリエイティブ・ディレクターを務めていたエディ・スリマンからの25項目の質問への答えだった。単なるイエスかノーだけでは回答できない、いかにも『MR』らしい質問に、「たいしたことは言えないけれども……」、「たぶん」「きっと……」と、まるで日本語の対話のような、人柄を感じさせることわりをいれながら誠実に答えるエディのメッセージを指でなぞって、「ここを読んで」と、指がとまった。

「Q. 『MRハイファッション』をごらんになって、どのような感想をお持ちですか」と率直に自誌の感想を尋ねる項目に対し、エディは、「A. (世間が 注:筆者)まだ懐疑的だった時期に、サンローランの変容を支援してくれた(世界で 注:筆者)最初の雑誌だと思います」とコメントを寄せていた。

「『MR』のコレクション特集は、許されるページ数との兼ね合いで、パリコレ全体の中から30前後のブランドを厳選して掲載していました。1ページを縦に5分割して、1行に4カットの写真。主要ブランドには4〜5行のスペースを割いていましたが、新人のデビューコレクションは1行とるのが精一杯。でも、エディのショーの写真のポジをみた時、ほぼ1ページに拡大して、1点でも多くのルックを読者に紹介しようと即決しました。『MR』では異例のことだったのです」。エディが手がけるイヴ・サンローラン リブ・ゴーシュ・オムが3回目のコレクションにして初めてのショーを開催した、1998-99年秋冬コレクションのことだ。

拡大した理由を尋ねると、「一言でいうと、エディという“周波数”を発見して、それが私が雑誌で求めているものとピタリと一致したのでしょうね」と言う。「一例を挙げると、原色の赤や黄色、強い色味のロイヤルブルー、フューシャピンクといったムッシュ・イヴ・サンローランが打ち出した色彩を、エディは彼へのリスペクトを前提にして抽出し直し、中間色の淡いブルーやピンクといった新しい色に転換していることは一目瞭然でした。メゾンをあらゆる方向から掘り下げ、深めていくことで服は進化する。私は、エディがサンローランの源流と真摯に向かい合っている、その“深度”に共感し感銘を受けたのです」。

「20年以上も前のことなので細部は曖昧だけれど……」と言いながら、次に、パリ在住のスタイリストで、当時エディのアドバイザーでもあった水谷美香さんを、サン=ジェルマン=デ=プレの自宅に訪ねた日の話になった。打ち合わせが終わり、これからエディとミーティングがあるという水谷さんと、別れ際に交わした会話の一端だ。

「『デビューショーのアイテムの中で、スペンサージャケットだけが外部の反応が悪かったとエディが悩んでいる』と彼女が言うのです。そこで、『エディに、『MR』のコレクション号をもう一度見てもらってほしい。アイテム紹介のページに、私はスペンサージャケットを1カットも選ばなかった。理由は、カーディガンジャケット、スモーキング、ノースリーヴニット、どのアイテムも“エディ”によって新しい時代のものになっていたけど、スペンサージャケットだけはイヴ・サンローランのレガシーそのままのように見えたから。エディの“血”が新たに加わっていないように見えたから』とメッセージを託しました。その時、水谷さんが、『エディがきっとすごく喜ぶと思う』と言ってくれたのを覚えています」。

これは、田口さんがエディ・スリマン本人とまだ直接出会っていない頃のエピソードの一コマである。

田口淑子 Toshiko Taguchi

1949年生まれ。『MRハイファッション』と『ハイファッション』の編集長を務め、現在はフリーランスのエディター。

Text_ TATSUYA YAMAGUCHI


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