TOLD BY TOSHIKO TAGUCHI RECALL: HEDI SLIMANE 2

『MRハイファッション』の編集長が出会ったデザイナー。 「エディ・スリマン。“禁欲性と悦楽性”、アンビバレンスの共存」

「確か、エディとはサンローランが主宰するパーティーで挨拶したのが初対面。公的な場なので、あまり多くは言葉を交わしていませんが、その時以来彼は、私の名前と『MR』の紙面とを結びつけて認識してくれていたのです」と回想しながら、田口さんは、『MR』の編集後記のページを開いた。日記風の短いテキストには、2000年7月からエディ・スリマンがクリエイティブ・ディレクターを務めていたディオール オムの、初コレクションが発表される直前のパリでの、エディとのエピソードが綴られていた。

「1月21日 ミラノコレクションの取材を終えてパリ支局に1泊で寄る。ディオール・ジャパンの杉山絵美さんが来局、次号のバックステージ取材の打ち合わせ。後、ディオールの本社が支局のすぐ近くだというので、パリの広報担当者にご挨拶に行く。ディオール社のロビーには、このまま全員東京に連れていって撮影したいと思う、いかにもデザイナー、エディ・スリマンのピックアップらしいピュアなタイプのモデルがおおぜい詰めかけている。そしてモデルオーディション中のエディと二年ぶりに会う。『ショーは見てくれないの? 帰ってしまうの?』と、とても残念そうに言ってくれた。エディの若武者のような眼が凛と張り詰めていて、ディオールでの初コレクションの成功をはっきりと予感させていた」(『MR』2001年4月号から引用)

20年前のパリでの情景を反芻し、エディを惹きつけるモデルの傾向を改めて見返しながら、「『少年性という美の基準』を満たすポイントが、エディ自身とディオール オムのコレクションにとって抜き難い要素だった」と、田口さんは語る。『MR』に掲載した数多くの号での特集ページ、コレクションやバックステージの写真で、新しい時代のメンズ・モードを体現してきたディオール オムのモデルたちを確認しながら、「まだ未成熟な骨格や体型といった個性。単純な美醜では捉えることのできない、青年期に移行する前のわずかな時間だけの、透明感とほのかに陰りがある少年性。モデルを選ぶときの彼の一貫した志向には、“禁欲性と悦楽性”というエディ自身の資質と重なる、アンビバレントで独特なバランスが投影されているのかもしれません」。

次に話は、近代以降の男性の服として欠かせない、「スーツ」というアイテムを変革した、エディ以前のデザイナーの事例に移った。

「エディの出現前、80年代にメンズスーツの概念を変えたと思うデザイナーが2人います。一人はジョルジオ・アルマーニ。彼は、鍛え上げたボディに似合う、俳優やシンガーなどセレブリティの男性たちには待望のゴージャスなテーラードを創り上げた。もう一人はポール・スミス。自身が青春期の60年代に遭遇したロンドンムーヴメント、“モッズ”をベースにしたスリムなスーツ。それは、長身のポール自身にも良く似合っていて、世界中の若者をスーツというアイテムに熱中させました。両者とも、いわば社会のユニフォームであった長い伝統を持つスーツを、独自の美意識とテクニックで、“特権的な喜びがある”モードに変えた。明言すれば、彼らはスーツの概念を変えた改革者なのです。どちらも過去のひと時代を象徴する一過性のスタイルとして懐古されるものではなく、今もブランドのアイデンティティとして継続し、世界のファン層を更新しています。そして2001年、エディ・スリマンのディオール オムが登場。少年性とスキニーという新しい概念で、スーツを先鋭的なモードの領域に押し上げ、このアイテムの、新たな “永劫性”を作り出したのです」

エディがディオール社で最初に求められた仕事は、本社スタジオの空間デザインとインテリア設計だったという。イヴ・サンローラン リブ・ゴーシュ・オムのように、引き継ぐメンズのアーカイヴも手本となるスタイルも存在しないなか、包括的な視野をもったクリエイティブ・ディレクターとして、ゼロからブランドを創始することを託されたのである。

「モードは映画と同様に、総合芸術と言えるのかもしれません。クリエイティブ・ディレクターと映画監督は同じ使命を担っています。エディにとって抜きがたい音楽、幼い頃から親しんでいた写真といった個人的な嗜好と、後年学んだ総合的な美学全般の深い結びつきを通して、彼のディオールでのあるべき姿が確認できました。今思えばデザイナーではなく、クリエイティブ・ディレクターという肩書きはまさに的確な命名なのでした。エディはグランゼコールを卒業後、ルーブル学院で美術と歴史を学び、かつてジョゼ・レヴィでアートディレクターを、ファッションコンサルタントのジャン・ジャック・ピカール氏のもとではアシスタントを務めてきた。ファッションの現場で、多角的な分野の研鑽を積んできたのです。そんなエディの知性と素養、そして修行のキャリアが、ディオールとの幸運な出逢いで開花したのです」

田口淑子 Toshiko Taguchi

1949年生まれ。『MRハイファッション』と『ハイファッション』の編集長を務め、現在はフリーランスのエディター。

Text_ TATSUYA YAMAGUCHI


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