TOLD BY TOSHIKO TAGUCHI RECALL: RAF SIMONS 1

『MRハイファッション』の編集長が出会ったデザイナー。 「フードをモードの側に変換したラフ・シモンズ」

「1980年代の日本は、狂熱の時代でした。バブルを背景にファッションビルのセールに徹夜で行列ができ、デザイナーズファッションが若者を虜にしていた」。田口さんは、当時の日本の若者の、ファッションへの熱量と同じような現象を、1990年代後半に経済成長の過渡期にあったソウル・ファッションウィークを取材したときに追体験したという。「ショー会場の入り口にはデザイナーを一目見ようと、芸能人の追っかけのように若いファンたちが取り囲んでいました。その光景は、15年程前の日本のファッションに熱中する若者の姿そのものだった」と振り返りながら、東京コレクションの長年の取材歴の中で、80年代前半、そして90年代後半、東京のメンズデザイナーズブランドの隆盛を、賛否こもごも鮮烈に記憶していると言う。

「90年代前半、東京のある展示会で、『テンセル』という新開発のイミテーションのシルクのような高級素材で仕立てたダブルブレストのスーツに、なんと、フードを付けたものを発表したブランドがありました。洋服がある種盲目的に売れる時代、消費者が飛びつきそうな新しさや変化が欲しかったのでしょうか。服のクオリティを熟視し、デザイナーのクリエイションが誌面の原点であり根幹にある『MR』の編集者として、テーラードジャケットの肩のフォルムを台無しにしてしまうフードをみて、私は愕然とし、情けない思いでいました」

田口さんは、90年代のメインストリームに台頭していた、「“デザイナーの眼”が不在だとしても成立するファッションのひとつである、ストリートやグランジ」の趨勢を、『MR』でどのように捉えるかに頭を悩ませていたという。「幸い、『MR』には、簡単には世間の評判に迎合しない、手厳しい審美眼をもつスタイリストが参加してくれていた。メンズモード誌として“ストリート”をどう捉え表現するかという点において、彼らの判断力と視点は欠かせませんでした」

「当時の私にとって理解しにくいものだったストリートやグランジの固定観念を打ち壊してくれた人がいます。ラフ・シモンズがその人です。それまで、ストリートやスポーツを象徴するものとして扱われていたフードをモードの側に変換してくれたのがラフだったのです。それは、全く新しいものを打ち出すことに匹敵する、偉大な功績ではないかと思います」

『MR』は、1995年秋冬にミラノの地で展示会形式で発表し、97年秋冬以降はパリ・メンズに参加していたラフ・シモンズにいち早く注目し、文化出版局のパリ支局員による取材を中心に毎シーズンのコレクションのルックを掲載。たびたびのデザイナーインタビュー、アントワープ特集でのアトリエ取材記事(『MR』1997年6月号)などを通して何度もラフを誌面で紹介してきた。

「私が初めて会場に行って観たラフのショーは、2002年春夏のパリコレでした。彼の90年代のコレクションは画像では観てきましたが、直接現地で観たことはなかったのです。しかし、フードを被り、マスクをし、マフラーがモデルの顔に巻きついていたこのコレクションが、ラフのショーを自分の目で直に観て体感することのできる最初の機会であったことは逆に幸運だったと思っています。彼の初期の、イギリスを想起させるスクールボーイルックの、いくぶんクラシックな作品を最初に会場で観ていたら、私がラフ固有の複合的な才能と意思を認識するのはもっと遅れていたかもしれませんから。ストリートをモードの域に押し上げるために不可欠な、美しいバランスをラフが作ることができたのは、90年代のコレクションに現れているように、彼の根幹にテーラードやエレガンスへの眼差しがあったからでしょう。私が観たショーには、ラフの一貫した深い思考を窺い知ることのできる、決定的なインパクトがあったのです」

ストリートだけでなく、スポーツやアウトドアの台頭の時代における“コンサバティヴ”を別の価値観のものに更新するデザイナーの確かな存在感を反芻しながら、田口さんは話を続けた。「メンズモードにおける“変換”という意思と才能をもったデザイナーは、時代や社会を鋭く遠視する力を持っているのではないかと思います。ラフは、次の時代の推移を感覚する力を持ち、同時に、服だけではなく総合的に次代を感覚させる力をもった類まれなデザイナーなのだと確信したのです」

「ラフが、まさにそうであったように、素材やフォルムといった服のクオリティに欠かすことのできない要素を、クリエイションによって変革する稀有なデザイナーの出現に立ち合うことが時々あります。これは何十年と継続して見て来たからこそ得られる、編集者としての発見の喜びで、心から感動します。たとえば、デニムという素材の服はほとんどが、意味のないデザインをしているなー、というマイナスの感想しか持ち得なかったのです。誰がどんなクリエイションをしても、ジーンズとジージャンの完成度にはとてもかなわない。これを超えることはないと。それを初めて打ち壊してくれたのは、ジュンヤ ワタナベ・コム デ ギャルソンが2002年春夏のパリコレで発表した“デニムのソワレ”です。改めてジュンヤさんの底力を見た思いでした。新しいクリエイションを介して新しい時代を感じることができた体験は、自分の心に蓄蔵され、月日が経っても決して忘れることはないのですね。ラフ・シモンズについても、あのグランジを一躍モードの王道に変換した人として知り得たのが、その後も着目し続けるきっかけになりました。まだ、彼がジル・サンダーを引き受ける前のことです」

田口淑子 Toshiko Taguchi

1949年生まれ。『MRハイファッション』と『ハイファッション』の編集長を務め、現在はフリーランスのエディター。

Text_ TATSUYA YAMAGUCHI


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