TOLD BY TOSHIKO TAGUCHI RECALL: JOHN GALLIANO 2

『MRハイファッション』の編集長が出会ったデザイナー。 「マルジェラの“前衛”と、自身の“前衛”の闘いに挑んだジョン・ガリアーノ」

田口さんは、テーブルの上に2000年代の『ハイファッション』を広げ、コレクションルックを紹介するページを捲りながら、「当時はパリコレが保守と低迷の時代に突入していると言われていたけれど今改めて見ても、とんでもない話ですね」と言う。

「イヴ・サンローランにはステファノ・ピラーティがいて、ジバンシィはリカルド・ティッシ、ランバンにはアルベール・エルバスが、独自のモードを発表している。マーク・ジェイコブスが手がけるルイ・ヴィトンはその真価を発揮していました。そして、ドリス・ヴァン・ノッテン、アン・ドゥムルメステール、ハイダー・アッカーマン、リック・オウエンス……。加えて、アレキサンダー・マックイーンがいた。モードとクリエイションにおけるひとつの黄金時代といってもいいと思います」

積み重ねた数シーズン分の『ハイファッション』を横断し、多数のブランド名とデザイナー名が併記された、あるコレクションページで手をとめた田口さんは、「ガリアーノは、クリスチャン・ディオールと自身のレーベルであるジョン・ガリアーノのふたつのブランドで、年間6回ものコレクションを発表し、黄金時代の一翼を担っていたのです」と話を続けた。

「『ハイファッション』のリニューアルを念頭においていた2005年の3月は、ミラノとパリのプレタポルテ(2005年秋冬)の両方を2週間以上かけて訪ねていました。ショーでは最小限のメモだけをとり、服とモデルと空間をひたすら観続ける。私の仕事は、コレクションレポートを書く記者とは種類が違うので、貴重な一瞬を見落とすことのないよう注視し、目から、心の中に何かを焼き付けることが重要。それが『ハイファッション』の紙面で何をやるのかに直結していくからです。ミラノを後にし、パリコレの中盤でした。次のショーに移動する車中で、秋冬物を特集する10月号の特集のイメージと、『Past is New(副題:過去を巡るモード。)』というタイトルが浮かびあがってきたのです。このセンテンスを誘引したのは、おもにアレキサンダー・マックイーン、ステファノ・ピラーティによるイヴ・サンローラン、そして、ジョン・ガリアーノが手がけた2つのコレクションでした」

田口さんが執筆した同号の特集リードには、「誰か一人のクリエーターと、古びた一枚の写真や絵や、映画との出会いが、遠い昔の美のスタイルを現在に呼び寄せることがある。それは、ノスタルジーや回帰ではなく、最も新しい“今”としてカテゴライズされることになった過去なのである」とある。

ガリアーノの視点が向かう先のひとつが、服飾の史実にあることはジバンシィのオートクチュールでも明らかだったが、『ハイファッション』の2006年2月号で掲載された彼のイメージブックからは、もっと広い“過去”を眺望していることが、はっきりと洞察することができる。彼が当時手がけていたもう一つのメゾン、クリスチャン・ディオールの、ヌードカラーのショートドレスが表紙になっている号だ。

「この号で、ジョン・ガリアーノのバックステージ取材とインタビューを申し込みました。彼の快諾を得て、幸運なことに、コレクションにとりかかる前の2〜3週間をあててアトリエスタッフとともに制作するのだという、世界に一冊だけの手作りの創作ブックの特写が叶ったのです」。ガリアーノは、縦35×横32センチの全38ページのそれを“バイブル”と呼んでいる。見開きごとにコレクションに即したタイトルがつけられ、右ページは実際のショーで採用するテキスタイルで作られたドレスやパンツスーツをまとったブック大の人形、左ページにはガリアーノ自身がセレクトしたモノクロの写真のコラージュで構成されている。時代はさまざまで、1920年代から、おそらく1980年代まで。誰ともわからないスナップ写真から、ダイアン・アーバスの双子の写真までが収められている。過去の、それぞれの佇まいや服装までがインスピレーションになっている証だ。「感情が溢れるような色彩も含め、官能性や華麗さを服として視覚化させるガリアーノは、古典、あるいは過去のスタイルを、今と次代のものへと変えていく“前衛の人”だと思うのです」

2014年、ジョン・ガリアーノはメゾン・マルジェラのクリエイティブ・ディレクターに就任した。
「これまでガリアーノが手掛けてきたブランドとの決定的な違いがあります。それは、マルジェラが築きあげてきた、あらかじめ存在する“前衛”と、ガリアーノの“前衛”、二つの異質な前衛性の闘いだったこと。融和点の見出し方、ブランドの進化のさせ方と、この就任は、他人には想像のつかない、困難で、大きなプレッシャーを抱えた挑戦だったと思うのです。直にショー会場で作品を見ていないので明確ではありませんが、コレクションは緻密に周到に作られていると感じました。ガリアーノ自身のエッセンスをプラスするのは当然ですが、同時に引き算もしなければいけないという、彼にとっては新しい手法でのアプローチをしているように見えました。そして発表された作品は、従来からの熱心なマルジェラファンを納得させています」

「こうしてみると、ほとんどの人には意外な人選だった彼をマルジェラに起用した、ディーゼルグループ(OTB)の会長であるレンツォ・ロッソ氏の心眼は敬服に値します。彼にはガリアーノの、次代をも牽引しうる、類まれな才能を埋もれたままにはできないという考えもあったでしょう。本物の天才とは、創る宿命を持ち、ものを創り続けずにはいられない人。尋常ではない没入によって、100では物足りずに150のレベルのものを作ってしまう人。葛飾北斎が晩年、あと10年、いや5年の命があれば本物の絵師になることができるのに、と口にしたという逸話が、ガリアーノのクリエイターとしての存在とどこか重なる気がしてならないのです」

「余談のようだけれど、“顔立ち”は私にとって常に大事なテーマなので……」と口にした田口さんは、芸術家・表現者の名前を挙げながら「彼らから“天才の顔”というものを感じるのです」と話を続けた。

「その筆頭は、サルバトール・ダリ。ガリアーノは、先述の“バイブル”でもダリの肖像をピックアップしているのは偶然とは思えない。あるいは、アンディ・ウォーホール。日本では横尾忠則、池田満寿夫、谷川俊太郎、舟越桂。浮世絵でみる平賀源内。彼の役を演じるならば松田優作しかいないと、以前に考えたこともあります。頭の骨格が綺麗で細面で痩身。そして何より、その“眼”には、対面するものを一眼で射抜くような強い光りがある。狂気さえも内包したような深い眼は、近寄りがたいほどの印象を残す。私の想念の中では、ガリアーノもそこに連なっています」

私は以前、「面立ち、心より生まれ、局面は心が左右する」という、中国の古装ドラマでの老師の台詞が、田口さんからメール送信され共有していることを思い出した。

田口淑子 Toshiko Taguchi

1949年生まれ。『MRハイファッション』と『ハイファッション』の編集長を務め、現在はフリーランスのエディター。

Text_ TATSUYA YAMAGUCHI


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