TALKING ABOUT ARCHIVES Vol.17
小木”POGGY”基史が読み解く、アーカイブとファッションの関係 vol.02 feat. 権守健一(BOW WOW)(前編)
モードからストリートまで、現在のファッションとは切り離せない存在である”アーカイブ”。”アーカイブ”という存在がブランドのクリエイションにどのような影響を与えているのか、小木”POGGY”基史氏が対談形式で読み解く新企画。第二回目のゲストは、長年古着業界で働いた後に自身のブランドであるBOW WOWを立ち上げた権守健一氏。BOW WOWのフラッグストアであるC30にて行われた対談の模様をお届け致します。
--- 先ずはお二人の出会いだったり関係性を教えて頂けますか?
POGGY「一番最初は、(権守さんが)原宿の古着屋LOSTHILLSにいらっしゃった頃だと思うんですよね。その頃はお見かけしてただけで、ちゃんと話すようになったのはNEXUSVIIの今野くんを通じてですよね」
権守「そうですね。LOSTHILLSには8年間勤めていたんですけど、古着ではなく新品に携わることの方が多くて」
POGGY「LOSTHILLS名物のスニーカー磨きをやってましたよね(笑)」
権守「やってましたやってました。知ってますね(笑)」
POGGY「当時、LOSTHILLSの店舗の2階に事務所があって、そこの隅で若い人たちが入荷したばかりのスニーカーを磨いてたんですよね(笑)」
--- 皆さんそれぞれに歴史がありますね。きちんとお話をするようになったのは、ここ最近なんですね。
POGGY「ここ2・3年くらいですかね。NEXUSVIIと一緒に権守さんのブランド、BOW WOWが展示会をやってたりしてましたし。C30に初めて来たのは、昨年の初めくらいですかね。最初に来た時はやってなかったんですよ。でも、外から見た感じが気になるお店じゃないですか。で、また別のタイミングで来たら、FUTURAやSUBWARE、STASH関連の古着が置いてあって。セレクトが面白いなと思ったんですよね。そしたら、後から権守さんがやっているお店だと知ったんです」
--- たまたま通りかかったんですね! C30はいつオープンされたんですか?
権守「昨年の3月とかなんで、POGGYさんがちょうど来られた頃ですね。BOW WOW自体が、色々由来を考えて作ってまして。90年代の古着って、もう現在から考えると、20、30年経ってるじゃないですか。そうなってくると、当時のカルチャーを知らない人が既に沢山いると思うので、そういう部分を伝えられる服作りをしながら、ブランドを2、3年やってから、”後ろ”が語れるような古着を扱うお店をやろうかなっていう構想の元にスタートしました」
--- その辺りの、”後ろ”が語れるような古着というところに、POGGYさんが反応された訳ですね。
POGGY「そうですね(笑)」
--- 権守さんが洋服に興味を持ったのも、カルチャー的な要素が切っ掛けなんですか?
権守「初めはそうですね。古着と、裏原宿ですね。Boonとかを読みながら。皆が通るような古着カルチャーも大好きで、ヴィンテージも買いまくってて。好きなものが広過ぎちゃって(笑)。C30はBOW WOWありきと思っているので、それに裏付けされるような、自分の感覚と関連付く古着だけをセレクトしています。ブランドの背景にあるものというか」
権守「紹介するなら、語れるようなアイテムが良いのかなと思って。この辺り(バッファロージャケット)がブランドの由来になっているんです」
POGGY「黒やベージュのイメージが強いんですけど、色物もあったんですね。全然知らなかったです。これって80年代ですよね?」
権守「93年ですかね」
POGGY「アメリカで、皆がadidasのジャージ上下を着ているときに、The Wild Bunchの人たちは、そこにVivienne Westwoodをミックスしたりとかしていたんですよね」
権守「BOW WOWでもThe Wild BunchのMiloの着ていたようなファージャケットをモチーフにしたアイテムを展開していて。自分が一番好きなデザイナーがVivienne Westwoodなんですよ。着るとかじゃないんですけど。Vivienne Westwoodで色物のムートンジャケットが出ていて」
--- BOW WOWとして洋服を作る上で、この辺りからのインスピレーションを形にしようと思った切っ掛けは?
権守「ブランドを始めたのが2年半前なんですけど、90年代のカルチャーを明らかに踏襲して作っているみたいなブランドが無かった気がして。90’s感ていうのはあったけど。カルチャーを出しているようなところは無かったかなと。自分はMalcom McLarenが一番ストリートな人、根幹だと思っているんですけど、藤原ヒロシさんもMalcomと一緒にやってましたし、影響を受けている気がするんですよ。Malcomの初期の、直球の真似事みたいなスタンスの感じをやるのも面白いかなって思ったんですよね」
--- モロにサンプリングみたいなことですか?
権守「最初の頃は本当にそういう感じで(笑)。BOW WOWっていう名前も、Malcom McLarenがPistolsの後にプロデュースしていたバンドで、BOW WOW WOWっていうアーティストからとっていて。お店の名前も、BOW WOW WOWのデビュー曲の「C·30 C·60 C·90 Go」っていう曲からとっていて。当時って、カセットテープがレコードより売れていた時代なんですけど、カセットテープをダビングしてかけまくれ! みたいな、御法度みたいスタイルを打ち出していたのもMalcom McLarenで。そのイメージとブランドも初めは合わせていましたね」
--- 小木さんからみて、Malcom McLarenが現在のファッションに与えている影響ってどういうところだと思いますか?
POGGY「JOHN PEARSEっていう、Malcom McLarenがスーツを仕立ててたり、シャツを着ていたりするテーラーの服を、Liquor, Woman & Tearsで仕入れていたときがあったんですけど、Malcomって、凄いストリートの中にいながらもスーツを着ていたりとか、ブリティッシュトラッドを少し崩した感じだったりして。そういうのが凄い好きで。あとは、Punkの仕掛け人と言われつつも、NYに行ってブロックパーティーと出会って、Hip Hopの方面にいったり。日本人だったら、PunkはPunk、Hip HopはHip Hopっていうジャンルで捉えがちですけど、レベルミュージックとしてPunkやHip Hopを見ている、柔軟性のあるところが魅力的ですよね。多分、ヒロシさんとかジョニオさんもそうだと思うんですよね。ジョニオさんも、パンクの格好をしながらAF1を履いていたりとかしましたし、そういうところって凄い影響を与えているのでは無いでしょうか」
--- 今の若い子たちが、何も意識せずにやっているようなミックス感の元祖のようでもありますね。
POGGY「そうですね。当時のパートナーだったVivienneも歴史のあるものを思いっきり崩すデザインをする人じゃないですか。Vivienneがやっていたことって、当時凄くイギリスのクラシックなモチーフだったり、普通に一般家庭で着ていたようなモヘアのニットとかを引き裂いたりとか、アメリカの軍モノのパンツにジッパーを付けてボンテージパンツみたいにしたり。トラッドなものを思いっきり崩して、そこに音楽のカルチャーが入っていたというのは、中々無いですよね」
--- お話を伺うだけでも、今のファッションの源流の一つになっているなと感じます。
POGGY「そうだと思いますね。さっきも話したように、アメリカだとRun DMCみたいな人たちが沢山いたのに対して、イギリスのHip HopってさっきのThe Wild Bunchじゃないですけど、Vivienne Westwoodの洋服をミックスしたり、やっぱりちょっと違うんですよ。同じ頃に、完さんやヒロシさんもVivienneをミックスしたりしていて、The Wild BunchもTiny Punxも影響を与え合っていたみたいなので、どっちが早いとかは分からないんですけど、独特のHip Hop感ですよね。そこに権守さんが凄い影響を受けているのは共感出来ますね」
権守 健一
ヴィンテージ、Hip Hopをはじめとする様々な音楽、そして裏原のカルチャーと多岐に渡るバックグラウンドを持つ、BOW WOWのディレクター。この春夏より、King Of Diggin’ことMURO氏の新ブランド RECOGNIZEをサポートしてローンチ。
小木“POGGY”基史
1976年生まれ。1997年に「UNITED ARROWS」でアルバイトを始め、プレス職を経て2006年に「Liquor,woman&tears」をオープン。2010年には「UNITED ARROWS & SONS」を立ち上げ、ディレクションを手がけている。2018年に独立し、昨年リニューアルオープンした渋谷PARCO内の「2G」のファッションディレクターを務めるなど、新たな動きにも注目が集まっている。
Text_ Maruro Yamashita