TALKING ABOUT ARCHIVES Vol.16

SKITオーナー鎌本勝茂氏が語るフェイクカルチャー (Part 3)

今のスニーカー市場で最も拡大しているフェイクカルチャー。過去2度にわたりその実情をお届けしたが、今回はその原点にフォーカス。その始まりは90年代初頭。一世を風靡し、今もなお愛され続けるAir Jordan Ⅰに端を発している。スニーカーにおいて、フェイクカルチャーは日本がはじまりだと言う鎌本氏は、今の情報化社会がそれを加速させていると語る。

吉祥寺SKIT 鎌本氏

---Air Jordan Iが人気になった要因はなんだったのでしょうか。

「Air Jordan Iの発売は1985年頃。当時は単純にバスケットボールシューズとしての認知しかなかったのですが、雑誌で著名な人達が、『今の気分』とか『スケートをするのに良いから』と、ファッションアイテムとしてAir Jordan IやDUNKを紹介したのがきっかけでした。僕は当時、まだ青森にいたので、1985年当時のリアルを知らないんですが、ヴィンテージブームがはじまった頃には、新品の卸したてのものでもヴィンテージ感を出すために、わざと汚してから履くって言っている人がいたり、デカばきって言う敢えて2~3cmくらい大きなサイズを履いて大きく見せることも流行っていましたね。当時のファッションの流れもあってシンプルなフォルムのバスケットシューズはちょうどよかったんだと思います。マイケル・ジョーダンのシグネチャーシューズというよりファッションアイテムとして人気になりました。」

Air Jordan I(当時のモデル)
Air Jordan I(当時のモデル)

---その時にはすでにフェイクが出回っていたんですか?

「フェイクが出回るようになったのは、93〜94年頃です。ヴィンテージブームがフェイクに大きな影響を与えています。アメリカでは当時新しい物ほど良いとされる時代だったので、日本とは真逆の文化だった。だから仮にアメリカでフェイクを売ろうとしても古い靴だからほとんど見向きもされない。実際1994年にAir Jordan Iが初めて復刻されましたがセールになりましたから。98年に僕がアメリカへ行った時はDUNKのオリジナルを履いていって、そこで現地の人に『なんでそんな古い靴履いているの?』と言われていました(笑)。日本人の古き良きと言う思考性やコレクター癖みたいなものがあったから古着ブームやヴィンテージブームが起こった。ある程度基板が出来上がっていたヴィンテージカルチャーの中にフェイクを売る人たちが目をつけAir Jordan IやDUNKのフェイクが生まれてしまったんです。当時は情報がそこまでないから、定価や相場がよくわかっておらず、お店が自由に金額をつけていました。5〜6万円代のモデルも当たり前にありました。当時学生だった僕からすればAir Jordan IやDUNKは憧れの一足だったんですが、その反面、古着屋に行けばレジ横に必ず一足はあったので、身近な存在でもあったんです。」

Air Jordan I
左が現在の正規モデル、右が1993〜4年頃のオリジナルのフェイクモデル

---当時から偽物かも、って言うのは感じていたんですか?

「Air Jordan Iに関してはそうかもしれない、っていうのはわかっていましたが、DUNKは全然わからなかったですね。元々DUNKは復刻されたものがなく、オリジナルしかなかった。でもオリジナルは見たことがなかったから全くわかりませんでした。お金がなくて買えなかったので、お金を持っていたら買っていた可能性はありましたね。だから僕らよりもっと上の世代の人たちはそれとは知らずにフェイクを買っていたんじゃないかと思います。」

Air Jordan I
左が現在の正規モデル、右が1993〜4年頃のオリジナルのフェイクモデル

---Air Jordan Iで見分けるポイントはどこですか?

「一番わかりやすいのはレザーの質です。ただ、当時の多くの人が騙されていた最大の理由は、オリジナルを見たことがないからです。比べようがなかったんです。他にもソールのパターンが違ったりシェイプが異なっていたりしていたんですが、当時の一般の人には難しかったと思います。フェイク業者も自分たちで型を作っていてそれに当てはめてカラーバリエーションを作っていたので、フェイクはフェイクで似たような型になっているんです。そのシェイプの方が出回っているから逆に本物だと勘違いする人も少なからずいたと思います。」

Air Jordan I
左が現在の正規モデル、右が1993〜4年頃のオリジナルのフェイクモデル

「これは昔のフェイクなので、ぱっと見でわかりやすい違いがありますが、フェイク業者側もどんどんブラッシュアップしているので、今ではクオリティの面で目利きの難しいモデルがたくさんあります。情報がなく比べようがなかった当時は、怪しいけど履きたいから買うっていう日本人が多くいたので、フェイクがばかみたいに売れていたんです。特にフリマで多く売られていたと思います。当時フリマで知り合った人に、これどうやって買ったの?って聞いたら、いや実は……という形で聞いたものがこれなんです(下の写真のモデル)。」

Air Jordan Iの黒金パテントのフェイク
20足程度サンプルとして製造されたモデルのフェイク

---これはどんなモデルなんですか?

「Air Jordan Iの黒金パテントと言えば、幻のモデルとして本物だったら500万円か1,000万円はするだろう、と今でもファンの間では語り継がれているものです。試作品として20足限定で作られたもので、それ以降作られることはなかったレアなモデルだから、現物があればNIKE本社が買い取る位の代物です。1995年頃、そんな超貴重なモデルを日本の原宿のフリーマーケットでサイズそろえて98,000円で売っている人がいて、話を聞くと韓国で数十足見つけてきたとか……。ちなみにこのフェイクは1980年代に韓国でNIKEの靴の製造工場を営んでいた人が作ったらしいです。」

Air Jordan Iの黒金パテントのフェイク

---情報も数も少ない中でここまで広がったのはなぜですか?

「やはり雑誌が大きかったと思います。雑誌の広告で出ていた通販会社の広告にこの黒金パテントのフェイクが載っていたりしたんですが、当時は雑誌の広告に偽物が掲載されるのはちょくちょくありましたね。消費者側はただでさえ情報が少ないから全国誌に載っているものを偽物と思いませんから、信じるしかなかったんです。ただ元々最初に記事として紹介されたものは本物なんですよ。それに高額の値段がつけられてしまうと、業者がじゃあこれ作ろうか、と。だから40代以上の人たちは割とこの黒金パテントモデル持っている人多いと思いますよ。もしかしたらまだ本物だと信じて持っている人もいるかも。」

SKIT鎌本氏

---Air Jordan Iはスニーカー史上最初のフェイクなんでしょうか?

「93〜94年頃にAir Jordan Iの赤黒・青黒・白赤黒・黒金パテント、DUNK HIGHの紺黄や黄黒のフェイクがそれぞれ同時期に出回りました。これがフェイクカルチャーの原点で、個人的には世界で最初のNIKEのフェイクなんじゃないかと思っています。このころ世界的に見てもヴィンテージスニーカーに注目していたのは日本だけ。だからフェイクも日本人向けに作られていると思います。それが、20年30年経った今、アメリカやヨーロッパではヴィンテージに目を向けるような動きが起こっていて、反対に日本人は新しいものを追うようになっている、真逆の形になっているんですよね(笑)。それは時代の変化も大きく起因していて、若い子たちがそれだけ世界に目を向けてきているんじゃないかな。」

---Air Jordan Iはフェイクとしても長い歴史があるんですね。

「85年に作られたAir Jordan Iのオリジナルから10年の間でフェイク市場は圧倒的に拡大しました。カルチャーとして成立するとフェイクがついて回る、という現実が25年前に実証されているんです。特にAir Jordan Iは復刻モデルやコラボモデルが今でもリリースされているので、30年近くフェイクが作り続けられている。しかもここ数年前からは、本物が発売する前からフェイクが作り始められるようになったから、本当にすごい時代だなって思います。当時ではあり得ないことが、情報化社会・デジタル化によってできるようになっているわけですから。プロでも見極めが本当に難しいフェイクが生み出されるようになっているので、注意点として言えることは何度も言うように“正規店で買う”ことと“信頼できるショップを見つける”ということに限ります。」

昔のモデルを漁る・コレクトする日本人の性分が生み出したカルチャー。今では世界各国でそのムーブメントが起こり、それと同じだけフェイクカルチャーも拡大している。「オンラインというツールが便利になればなるほど、オフラインというツールが重要になる」と語る氏の言う通り、良い発展の裏にはそれを悪用する人がいる。物だけでなく人や店舗に対するデジタルではできない、自身の“目利き”を養って欲しい。

SKIT

SKIT 吉祥寺

営業時間 : 11:00~20:00
住所 : 東京都武蔵野市吉祥寺南町1-18-1 D-ASSET吉祥寺1F
TEL : 0422-47-6671
https://www.k-skit.com/

鎌本 勝茂

1978年青森県生まれ。
全国4ヶ所に居を構える、スニーカーショップ「SKIT」のオーナー。珍しいアイテムや良心的な価格設定で、スニーカーヘッズのみならず海外からも注目を集める。

Photo_ TOYOAKI MASUDA
Text_ HAYATO HOSOYA

RELATED ARTICLES