Talking about NIKE “AIR FORCE 1” & “DUNK”

SKIT 鎌本勝茂氏とThe Apartment 大橋高歩氏が語る、 “AIR FORCE 1”と“DUNK”の変遷

共に吉祥寺に根を張り、スニーカーカルチャーとファッションカルチャー、そしてその背景にあるHIP HOPをはじめとする、ストリートカルチャーに見識が深いSKIT 鎌本勝茂氏とThe Apartment 大橋高歩氏。ここ何シーズンかで何度目かのブームを迎えている、NIKEの“AIR FORCE 1”と“DUNK”について話を聞いた。

--- ファッションや他の様々なカルチャーと同様に、スニーカーの世界にもトレンドの繰り返しがありますが、ここ最近ではNIKEでいうならば”AIR FORCE 1(以下、AF1)”や“DUNK”などのSBシリーズにまた注目が集まっている印象を受けます。このような流れはいつ頃から生まれていたのでしょうか?

鎌本「3年位前から“DUNK”がちょっとずつ来始めていたんですよ。それはどちらかと言うと、ファッション的な側面と言うよりも、コレクターの方たちが動き始めた感じで、メインは中国からだったんですよ」

--- それは、過去の“DUNK”やSBシリーズにプレ値が付いてきたりしたということですか?

鎌本「「ここからここまで全部下さい」っていう感じで、“DUNK”のSBとかじゃなくて古い“DUNK”だけで80万円分位を急に買った人がいて。それが3年くらい前なんですけど、そこから色んな人たちが定期的に“DUNK”を求めて来るようになって。そのころは世界的なトレンドっていうよりは、噂レベルで“DUNK”が来るのか? って感じだったんですけど、次第に本当に“DUNK”が市場から無くなりだして、値段も高くなってきましたね。そうこうしているうちにTravis Scottが古いSBを履き始めたっていう流れですね。裏で誰かバイヤーが仕掛けてたんじゃないのかなって感じもするんですよね(笑)。自然発生したって言うよりは」

--- 大橋さんは買い付けでNYに行かれることも多いと思いますが、NYでの“AF1”やSBシリーズなどのいわゆるローテク系と括られるようなスニーカーの状況はどの様な感じだったのでしょうか?

大橋「自分よりもちょっと年下のニューヨークのビンテージコレクターだったりとか、グラフィティーライターだったりとかは2000年くらいに皆“AF1”を履いてたと思うんですけど、そういう人達が、最近でも“AF1”の黒蛇やリネンみたいな昔のモデルを履いてるのをたまに見かけて。古いモデルを綺麗な状態で履いて差別化するみたいな。そういう流れはありますね。勿論、メインの流行とは別だと思うんですけど。5年前くらいって、NYだったらAir Jordan一色っていう感じだったと思うんですけど、そこで“AF1”を選ぶのって、「確かに“AF1”の古いの、履けるっちゃ履けるし面白いな」とか思って、そこから何回か自分たちも「“AF1”が来る!」みたいな感じで買い付けてたりしたんですけど、大体スベってて(笑)。いまいち響かない、響き切らないみたいな感じだったんですけど、16年のリネンの復刻が転機になって、“AF1”を巡る雰囲気がバッと変わりましたね。
“DUNK SB”に関しては履いてる人をNYで実際履いてる人を見たことなかったんですよね。昔も今もそうだと思うんですけど、“AF1”と“DUNK SB”ってユーザーの層が分かれてて、“DUNK SB”の今の流行ってのも、ファッションというよりモノに寄った感じで、裏原カルチャーを含めた、’00年代初頭の再評価的なものの一つなのかなって思ってます」

鎌本「古いSBって今はプレミアも付いていて、店頭に出せば売れるんですけど本当に街で履いてる人結構見ないんですよ。だからブームって言われてるんですけど、僕の中では見えないブームというか(笑)、ブームじゃないブームだと思っていて。じゃあアメリカで履いてる人が多いかと言うと、僕は西の方によく行くんですけど、西の方でも履いてる人はそんなに見ないですね(苦笑)。なので、世界的なブームとは言われているんですけど、僕はもうインスタグラムとかSNSのアレだけだと思っていて(笑)」

--- 実態の無いブーム的な…

鎌本「“DUNK”って世界的に人気が出て来たのって本当にここ何年かなので。99年に復刻した時も日本が主導ですし」

--- 日本でだけ局地的に人気があったんですか?

鎌本「はい。日本の一部の人達だけが騒いでいたモデルで、僕もそこまで通ってないんですよ。後追いの方なんで。自分は今42歳で、“DUNK”を知ったのは中学生の頃なんですけど、当時既に3万いくらみたいにプレミアが付いていましたし、履いてるのはどちらかというと古着の人たちが多くて。けど、アメリカのローズボールフリーマーケットではダンクのオリジナルが物凄く安く買えたり、NYに初めて行った時に“DUNK”を履いていたらFoot Lockerの店員がダンクを知らなかったんですよ」

一同「お〜」

鎌本「変わったの履いてるねっていう感じで。2000年代に入ってから、Supremeがコラボを仕掛けたので知名度的には上がりましたけど、定番にはなっていなかったですね。僕たちには、紺黄とかオレンジ白とか“DUNK”における、ど定番のカラーってあるんですけど、日本人以外だとその感覚も無いんじゃないですかね」

大橋「自分も鎌本さんと同年代なので、“DUNK”は紺黄のイメージが強いんですけど、古着の人が履く靴だし、自分らの靴じゃ無いっていうイメージがありました。それが少し変わったのが、“DUNK PRO”が出たときで、その頃僕らもスケボーをやっていた頃で、スケシューを履くじゃないですか。OSIRUSとかesとか履いてたんですけど、HIP HOPもずっと好きだったんで、あんまりスケシューを履いているところを人に見られたく無くて、誰かと会う時はすぐ脱ぐみたいな感じで(笑)。けど、“DUNK PRO”が出たときに、これは自分らサイドでも履けるスニーカーだって思えて、履いてました。
けど、その後SBになってからは、やっぱり裏原の靴っていうイメージになっちゃったので離れちゃって。気になるのは要所要所であったし、「これ良いなー」とは思ってたんですけど、自分らが履くべき靴じゃない、と感じていました。
今評価されてる“DUNK”って、2種類あって、“DUNK PRO”の前にリリースされていたような“DUNK”をVirgil Ablohだったり再評価していて、Travis Scottがコラボっていう形で再評価しているのがSBの“DUNK”っていう感じだと思っていて。それって結局両方原宿、裏原のカルチャーとしての“DUNK”なんですよね。そういう中でのアイコンみたいなスニーカーになっているのかなっていう気がします」

--- “DUNK PRO”ってありましたね! 滅茶苦茶懐かしい(笑)。

鎌本「ありましたよね。 “DUNK PRO”を立ち上げた人達が、その後SBを立ち上げるんです。日本と世界にはやっぱりズレがあって、何かのインタビューで読んだんですけど、SBは世界的に見ると初期は失敗扱いらしいんですよ。日本ではSBで行列が出来ていましたけど、日本の売り上げ程度じゃあっていうのもあるみたいで。“DUNK”に定番と言えるものが出てこないっていうのもそういうことかもしれないです」

--- 裏DUNKが日本でリリースされていた頃って、シューレースの結び方も凄いバリエーションがありましたよね。ああいうのって海外でもあった文化なんですか? 

大橋「NYでもライター連中とかに会うと、“AF1”を履くやつは大体シューホールを飛ばして、まとめて履くみたいな。HIP HOPにおける新品カルチャーから来てるんだと思いますけど、スニーカーってシューレースが通されない状態で箱に入って出荷されるじゃないですか。あれをそのままバッて履くっていうことだと思うんですよね。

自分も、紐の結び目をダルダルにしといて、タンに皺が入らないように履くんですけど、多分それくらいのノリだと思うんすよね。そういうのを、当時NYのカルチャーをチェックしていたであろう、HECTICの周りの人とかOSUMIさんとかがアップデートしたものだと思っています」

--- “AF1”でいえば、今シーズンSupremeがオールホワイト、オールブラックにそれぞれボックスロゴをあしらったデザインでコラボしました。

大橋「Supremeとしては、あのボックスのロゴをボーンて入れることで、それを定番にしていくっていう意図があるんだろうなと感じます。以前から、小物などを含めて色んなものに、ボックスロゴを入れてコラボしてるじゃないですか。そういうのも、それぞれの分野でこれがTHE BEST、これが定番っていうものにハンコじゃないですけど刻印的なニュアンスでやってますよね。SupremeはNYのブランドなんで、NYの定番は、やっぱりTimberlandのブーツと、“AF1”っていうのがTOP2で、そこは揺らぐ事がないですよね。なので、そういうデザインの意図も含めて、凝ったことをしなかったんでしょうね。10年後に振り返ったときに、殿堂入りしてるデザインだと思います。」

--- NYにおける“AF1”の定番感が強調されましたね。これによって今後“AF1”がスニーカーマーケット的に評価が伸びるということはあると思いますか?

鎌本「あると思いますね。デザイン的に見ると、VirgilがOff-Whiteでやっていることって良い意味で“壊す”やり方じゃないですか。そういう時流のなかで、Supremeがこのデザインをしたというのは、結構意味があることなんじゃないかと思っていて。NIKEがインラインで出すものまで、スウッシュをずらしたりしている時代ですからね。何かしらのメッセージがありそうな気がしています。派手だったり、ぶっ飛んでるデザインが良しとされている中で本当に変わりそうな気がしています」

大橋「今ってVirgil的な手法じゃないですけど、あのモノの作り方っていうのが1個確立されているじゃないですか。最近で言うとComme des Garcons Homme Plusがコラボした“AIR MAX 95”も考え方的には同じ方向で。デザインっていうより哲学なんですけど、あの哲学、考え方でモノを作るっていうものが飽和していて、あれがロジカルで解体出来るものになっちゃうと、次に進まざるを得ないですよね。そういう中でSupremeが“AF1”を使って、彼らのいつものやり方で、よりもっとソリッドに提示して来たって感じですね」

大橋「ここ何年かでよく思うのは、ダッドシューズとかが流行り出した頃から顕著だと思うんですけど、スニーカーのブームとファッションのブームが乖離しちゃってますよね。
ファッションとは関係なく、スニーカーを単にモノとして集めるっていう人たちが出て来ている反動で、ファッション的に感度が高いなっていう人達がボロボロのMephistoを履いてるみたいな。そういう事が起き始めていて。白の“AF1”ってレギュラーな靴じゃないですか。超インラインというか。ああいうのをファッションとして履くっていう流れが生まれてくると、また一つ面白くなってくると思います。要は、派手な限定じゃなくてレギュラーな定番のを選ぶっていう流れになっていくような気がしますね」

--- 鎌本さんは、“DUNK”、SBシリーズや“AF1”で思い入れがあったり、記憶に残ってるモデルとかはございますか?

鎌本「SBよりも“AF1”の方が先だったんですよ。当時、マイケルジョーダンのバスケットとか3 on 3とかそういうカルチャー、スポーツからスニーカーに興味を持ち始めて。Chicago Bullsでシカゴ、シカゴが地元のラッパーのCommon Sense、Commonが履いてた“AF1”ていう感じで数珠繋ぎで興味を持ったので、“AF1”は自分にとって特別なんですよね。勿論、その頃から“DUNK”の存在は知ってたんですけど、値段的にも買えなくて。けど、“AF1”は気軽に買える最高にかっこいい靴だったんですよ」

--- 大橋さんは印象に残っている“AF1”というとどんなモデルですか?

大橋「一番最初に買った“AF1”が白のミッドカットなんです。元々、自分の先輩のダンサーとかが“AF1”を履いてて、ブラックカルチャーの靴なんだろうなっていう感じで見てたんです。でも、その先輩たちが履いてたのは、ソールが真っ赤で。時期的には前後すると思うんですけど、90年代前半にLord Finesseが出した12インチの裏ジャケで、Finesseが真っ白な“AF1”を履いてるのを見て、「うわ! こんな真っ白あるんだ」ってなって、それが市川かなんかのスポーツ商店みたいなところで売ってたんですよ。30センチが。それをサイズも合ってないんですけど買って。なので、“AF1”っていうと自分は入り口がミッドカットなので、定番といえばローかハイだと思うんですけど、要所要所で思い出すのがミッドの都市別注のあたりとかなんですよね。Chi-TownだったりとかNYCだったりとかあの辺のミッドをよく履いてたし、覚えているし、好きでしたね」

--- 都市別注シリーズ、懐かしいですね! ネイビーホワイトのNYCとかありましたね。

大橋「あとはそれこそ90年代後半、高校生の時とかは、アメ横に行くとFoot Locker別注だったり、ヨーロッパ系の別注の変な色の“AF1”がよく売ってて。」

--- JD Sports別注とかですね。

大橋「はい、JDとか。ああいうのがすごい好きだったんで。WEST INDIESモデルが出てきたとき、あれって白の他に3色ぐらい使ってるじゃないですか、それが凄い変な感じで。“AF1”て自分の頭の中では2色くらいで構成されてる靴っていうイメージがずっとあって。2色で構成されていた頃の“AF1”は大体思い入れがあります」

鎌本「靴屋の観点から行くと“AF1”ってずっと2色しか使われてなかったので、90年代に入って、例えばNIKEのマークだけ金を使ったりして3色使ってるってなったら、それだけでレアになったりして。」

大橋「自分はスニーカーと洋服の色をハメるのが好きなんで、3色出てくると3色目邪魔だなって思ったのを覚えてますね(笑)」

--- 最後に、ファッションのトレンドとスニーカーのトレンドの乖離について改めて伺いたいんですが、それっていうのは過去を振り返っても珍しいことなんでしょうか?

大橋「スニーカーからファッションに入って来る人たちが増えたタイミングというか、それこそなんかスニーカーのYouTuberみたいな人達とか、スニーカー好きの芸人さんだったりとか、その辺りのジャンルが出来上がったあたりから、っていうイメージですかね。あそこから、本当に乖離したと思います。でも、そういう流れはNYでも感じていて。全身NIKEのテックパックを着て、スニーカーだけはレアなものを履いてる、みたいな感じの人達が増えていて。10年前には無かった感じかな。あと、そのコミュニティーの人達だけしか着てない服とかあるんですよ。そうなって来ると、完全にファッションとは別物ですよね」

鎌本「うちのお客さんでもそういう人たちって沢山いるんですけど、そこってまさにブームなんですよ。自分は“AIR MAX 95”の大ブームを経験しているし、今までの流れも見ていて本当に思うんですけど、誰かが本質の部分、カルチャーもちゃんと伝えていかないと、絶対今のブームってそのまま廃れていっちゃうんで。ブームは必ず廃れるんですけど、カルチャーって長い目で見ても廃れないんですよ」

鎌本 勝茂

1978年青森県生まれ。全国4ヶ所に居を構える、スニーカーショップ「SKIT」のオーナー。珍しいアイテムや良心的な価格設定で、スニーカーヘッズのみならず海外からも注目を集める。

https://www.k-skit.com/

大橋 高歩

NYのカルチャーと密接にリンクするファッション、ライフスタイルを提案する吉祥寺のセレクトショップ、the Apartmentとthe Apartment SOHOのオーナー。

http://www.the-apartment.net

Photo_ Shunsuke Shiga
Text_ Maruro Yamashita


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