DESIGNER INTERVIEW Vol.03

Children of the discordanceデザイナー志鎌英明氏が語るアーカイブ (Part 2)

志鎌英明氏

一 デザイナーズ、ストリートブランド、そしてビンテージまで幅広く収集をするコレクター、そして厳選されたビンテージやアーカイブを大胆に解体再構築したクリエイションで国内外問わず高く評価をされているChildren of the discordanceのデザイナー志鎌英明氏に、長年に渡って集められているSupremeのキャンプキャップ、そしてご自身に大きな影響を与えたニューヨークのカルチャーなどを語って頂いた。

---長年にわたってSupremeのキャンプキャップを収集されているとのことでしたが、元々集め始めた理由はなんだったんですか?

「そうですね、Supremeがニューヨークにオープンして数年経ってから集めています。Supremeに限らず元々収集癖があって、このブランドのキャップは柄も沢山あるし、アクセサリーみたいに手軽なので集め始めました。」

--- Supremeのオープン時にニューヨークにいらっしゃったんですか?

「94年と95年に2ヶ月ずつですが、ニュージャージーの友人が住む家にステイさせていただいてスケートや当時やっていたサッカーなどをしていました。当時、SupremeRalph LaurenRRLがオープン。あとは、Union、Zoo Yorkなどもあって当時のニューヨークのストリートで起きている勢いに人生観を変えられました。そんな時代だったのでSupremeもそうですが、2万円ぐらいするRRLのデニムとかを親に渡されたカードで買っていて、あとでバレてめちゃくちゃ怒られました。しかも、スケボーやってビリビリにしちゃっていたんでヤバかったです。(笑)あの頃の中学生だった自分に起きた出来事が、今の自分に大きな影響を与えています。」

---そんなにいい時代でしたら服好きならお金使ってしまいますよね。(笑) ところで、当時のSupremeのお店は、今と比べてどんな感じだったんですか?

「店の雰囲気とかは今とそこまで変わらなかったですね。店の目の前には、スケーターがたくさんいて、僕も当時スケボーをかなりやっていたんで、一緒に滑ってヒールフリップとかキックフリップとかのトリックをやったりしていました。スタッフからは、ボックスロゴステッカーを100枚ぐらい渡されて日本で広めろとか言われました。(笑) 地元の横浜に持って帰ってもみんな知らないから、ダサいなとか、いらないとか言われたりして。(笑) でも最近、当時スケートをしていた地元に行ったら、貼ったステッカーがまだ残っていたんですよ。ヤバイですよね!(笑)」

---それはすごい! なかなか経験したくてもできないですね。(笑) その他にも印象的なこととかって当時ありましたか?

「あの歳でニューヨークに行ったことと、ストリートの熱量には本当にくらいましたね。 それ以外だと確かナズのキャンペーンが街中でやっていて、最初は誰これ?みたいな感じだったんですが、買って聞いてみたらめちゃくちゃカッコよくて。それからビギーのファーストアルバムも発売されて、「うわ、ヤバイ」みたいに衝撃を受けていました。それまで西海岸のラッパーの勢いが凄かったんですが、その二人が出てきて流れが変わってきました。」

---そのストーリーが前回のインタビューでお話しされていた東海岸のHip Hopが志鎌さんに影響を与えたという話に繋がるんですね。

「そうですね。やっぱり当時の東海岸、そしてHip Hopはカッコよかったですからね。」

---話をSupremeに戻しますが、キャンプキャップもその当時店で買われていたんですか?

「いえ、帰国してからです。当時は、店で売ってなかったんですよ。Tシャツとかしかなくて。売り切れていたのか、販売していなかったのかはわからないんですが。帰国してからホームステイ先のおばさんに連絡をして買ってもらい、送ってもらっていました。当時は、ガチのスケーターだったんでデッキとかを中心にTシャツとCapをお願いしてました。当時は、Zoo Yorkが流行っていたのですが、おばさんが買いに行ってお店の店員と話すとお店のオリジナル商品を当然勧められて、送られてくるのは、Zoo YorkではなくSupremeの商品ばかりでした。(笑) あとは、原宿にあった初期HECTICと何店舗かあった並行輸入をしていた代官山のお店などで買っていました。」

--- Children of the discordanceでもキャンプキャップを毎シーズン作られていますが、Supremeの影響とかはあったんですか?

「ガキの頃から被っていたんでやっぱ馴染みがありますね。高校生から5年間ドレッドヘアだった時があったんですが、その当時もキャンプキャップの収集だけはしていました。周りの友人たちもみんな着ていたので。僕のブランドのキャンプキャップは、Supremeを意識してデザインしているわけではないですが、ベースボールキャップとかその他のハットと比べて一番この形が好きというのはありますね。でも、この型ってもともとは、New York Hatっていう歴史のあるブランドがやっていたんですよ。たしかSupremeも元々は、そこと同じファクトリーで作っていたかと思います。」

---そうなんですね。Supremeのキャンプキャップは、何個ぐらい集められたんですか?

「だいたいですが、300個以上はあると思います。」

Supremeのキャンプキャップ

---300個ですか! どの柄がお気に入りとかあるんですか?

「どれも気に入っているんですが、Supremeの方からもらった量産していないサンプル(写真左)やJordanを連想するセメント柄(写真右)、あとは日本にSupremeが入ってくる前のキャンプキャップとかは数が少なかったのでかなりレアだと思います。最近では使われていない迷彩柄とかもあります。逆にリアルツリーカモは、よく使われていますよね。恐らく彼らの好きなテキスタイルなんだと思います。ボックスロゴやタグも初期と今とでは違うんですよ。タグに関しては、初期のやつは紙でできていて、途中からSupremeのロゴ入りの物に変わったんですよ。デザイナーズブランドと比べるとキャンプキャップのアーカイブは時代毎に分けたりするのがかなり大変だと思います。」

Supremeのキャンプキャップ

---なるほど、日本に入ってくる以前の物は基本的には現地か並行ストアでしか手に入れる手段がないですもんね。1997年にSupremeが代官山にオープンしてからファッションの流れなどは変わりましたか?

「もちろん身に着ける人が増えましたし、変わったと思います。当時、僕がニューヨークのお土産で買ってきた時はいらないって言っていた友達も、あの時のSupremeある?とか僕に聞いてきたりとかして。(笑) あとは、裏原ムーブメントがあれだけ盛り上がったのは、確実にニューヨークのストリートブランドが後押ししていた感じはしました。Supreme、Zoo York、STASH、RECONなどが裏原ブランドとコラボレーションしてさらに勢いが付いていて、先輩方のコネクションや活動により、国やカルチャーもクロスオーバーして大きなムーブメントになっていったのだと思います。」

---当時は志鎌さんも裏原のブランドを着用していたんですか?

「僕は、DOWN ON THE CORNERから好みが変わっていって、藤原ヒロシさんが当時やっていたFINESSE、More about lessやグラフィティーが好きだったのでSUBWARE、あとはRECONなどを好んで着用していました。後期のSUBWAREやRECONは、Acronymのエロルソンが隠れデザイナーをやっていて、デザインもテクニカルとグラフィティーがミックスされたスタイルが好きでした。」

---近年人気のテクニカルの要素やグラフィティなどはその当時からあったんですね。でもそんな流れがある中でSupremeは、スケーターファッションを貫いていたんですね。

「そうですね。でもそのブレない姿勢がよかったんじゃないかと思います。もちろん今と違ってセールス的に難しい時期もあったと思うんですよ。でもそういう時期でも逆に分かってる人は着てたイメージがありました。2005年くらいにパリのコレットに行ったら、スタッフがさらっとキャップを被っていたり、僕らも人が着ない時期にコーチジャケットを着たりキャップを身につけていました。」

---なるほど。長い間、Supremeを見てきた志鎌さんですが、近年はLouis Vuittonとのコラボレーションなどの世界規模でのブームもありました。今のSupremeについてはどう思われていますか?

「いつ見てもそこはあえてヘッズとして刺激を受けています。もちろん時期によって着たり着なかったりはするんですが。ネタを切らさず毎回カッコいいデザインを出し続けるのが愛される理由なんだと思います。普通ここまでブレずにできないです。あのチームのセンスは、本当に素敵だなと思います。デザインに限らず、違うのかもしれませんが、俺らのスタイルはこれだから、欲しくないなら買わなくていいよ的なスタンスに共感します。あと、前はアメリカと日本しか店舗がなかったじゃないですか、それが良かったじゃないですかね? もし昔から世界中に店舗を出していたら飽和してしまっていたかもしれませんし。販売場所を少なくしていたから秩序というかカルチャーが守られていたんじゃないかなと思います。」

---Supremeのクリエイションについて、普通ここまでブレずにできないっておっしゃっていましたが、具体的にいうどういうところですか?

「彼らは全てを掌握してやっていると思うんですよ。彼らは、好きなことやっているように見せかけてデザインやコラボなど出すタイミングがパーフェクトなんです。このネタ、ここでやるか、みたいな。絶妙なんですよ。多分ストリートもモードも全てのファッションを見ていて、半歩先のデザインをクリエイションする、そしてそれがトレンドになっていく、みたいな。もちろんその逆パターンもありまずが。(笑)ストリートブランドなのに川久保玲さんとかヴァージル・アブローとかと同等に扱われていることも歴史を感じるし、チームの振る舞いや着こなしもみんな品があってスタイルがありますよね。」

---たしかに関わっているメンバーはみんなカッコいいですね。カッコいいだけじゃなくSupremeから離れてもOAMC、AWAKE NY、NOAHなどの実力あるブランドを立ち上げていますもんね。アーカイブは誰がデザイナーの時代の、みたいなキーワードがあると思うんですが、Supremeはデザイナーがわからないのに過去の作品も含めてこれだけの人気なのってすごいですよね。

「そうですね。でも様々なデザイナーやアーティストがクリエイションに関わっていますよね。モーションロゴはスケートシングさんが作られたらしいですし。代官山のオープン時にフライヤーやTシャツに使われただけじゃなく、今でも使われていますよね。多分依頼するデザイナーやアーティストもファミリー的な感覚で深く繋がっているのだと思います。」

Supremeのキャンプキャップ

---なるほど、信頼関係で結ばれているデザイナーに依頼しているんですね。デザイナーズブランドは、毎シーズンコレクション内容がガラッと変わると思うんですよ。Supremeは、シーズン毎にコレクション内容を変えたり、スポットでコラボを入れてはいますが、キャップやTシャツ、パンツ、小物など定番の形をベースに柄やグラフィックを変えたりしているだけのものもありますよね。それって志鎌さんのようなデザイナーさんにはどう感じるんですか?

「無理に変化をしないで形を継続することってすごい理にかなっていると思います。突き抜けたレベルのブランドですからね。ずるいですよね、このロゴがあるだけでカッコいいんですもん。(笑) Louis Vuittonのモノグラムと一緒でブランドの象徴ですよね。こういう確固たるものを作り上げるのって本当に素晴らしいと思います。」

志鎌英明 / Hideaki Shikama

神奈川県出身
Children of the discordanceデザイナー
厳選されたビンテージや貴重なアーカイブを大胆に解体再構築した斬新なデザインは、他のブランドとは一線を画しており、国内外で高い評価を受けている。

Photography_ SHUHEI HASEGAWA
Interview &Text_ SHUHEI HASEGAWA

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