DESIGNER INTERVIEW Vol.02

Children of the discordanceデザイナー志鎌英明氏が語る、アーカイブ (Part 1)

Children of the discordanceデザイナー志鎌英明氏

 一昔前は、デザイナーやコレクターなど一部の服マニア達だけが収集してきたデザイナーズブランドの過去の名作。しかし、その名作達がアーカイブと呼ばれ、その価値を理解した多くの人々を巻き込んだ新たなムーブメントとなっている。今回は、厳選されたビンテージや貴重なアーカイブを大胆に解体再構築したクリエイションで国内外問わず高く評価されているブランドChildren of the discordanceのデザイナー志鎌英明氏にアーカイブ、そして自身のブランドの製作背景などについて伺った。

---多くのデザイナーズブランドやビンテージを昔から収集されてきたそうですが、近年のアーカイブ人気については、どう感じていますか?

「僕が子供の頃のビンテージと言えばLevi’sやAir Jordan1など所謂アメリカンヴィンテージを指していて、そこに憧れを抱いていました。20年経って、今の20代の中にはDIOR HOMMEからファッションに入っていった人も当然いるわけで、その世代ってブランド古着と僕ら世代でいうアメリカ・ヨーロッパ古着に対してボーダーがなくて、好きなものを着ている感じがします。しかも、当時のデザインが一周してちょうどかっこいい。でも、アーカイブ熱は、海外の方がすごい感じがします。それってNYのアーカイブコレクター、デイビット・キャサバンがカニエやリアーナにアーカイブを貸し出したことがすごく大きくて、普通に購入できるものを着ていたアーティストがすごくレアな服を着始め、ただでさえ流通量が少ない物を多くの人が探し出したため高騰してしまったのだと思います。でも、僕もそういう価値になるのはわかる。RAF SIMONSHELMUT LANGMaison Margielaなど当時の物ってデザインも計算されて作られているし、縫製や素材のクオリティがすごく高かった。多分、当時のブランドは、資金も潤沢にあって、素材開発とかも行っていただろうし、ストリートとモードがクロスオーバーし始めた時代でそれをさらっと着るのが僕たちの中でカッコよかった」

2000年代前半に購入をしたRAF SIMONSのバッグ (志鎌氏私物)も縫製のクオリティが非常に高い
2000年代前半に購入をしたRAF SIMONSのバッグ (志鎌氏私物)も縫製のクオリティが非常に高い

---アーカイブの中でも特に高騰しているRAF SIMONSですが、どのくらいコレクションされているのですか?

「僕が購入していたのは、2002年から2004年の間だけですが、一着も売らずに残っています。当時は、デザイナーになるつもりもないただのBボーイでしたが、バイト代で足りない分はレコードを売ったお金でRAF SIMONSを買いまくっていました。その時期は、ただただRAF SIMONSのカッコよさに熱狂していましたね(笑)」

---その後続いていかなかった理由とかはあったのですか?

RAF SIMONSが同じテイストを当時数シーズン続けた後に、スポーツのムードのあるコレクションに移行していったのと、RAF by Raf Simonsが出たタイミンングで一旦熱が冷めました」

---RAF SIMONSは当時どこで買われていましたか?

「はしごです。(笑) Barneys New York、代官山のLift、B2nd、Mid West、LHPなどのお店で欲しいアイテムを探しては購入していました。特に当時人気がすごかったのは、ピーター・サヴィルのシーズンですね。デザインがかっこいい上にピーター・サヴィルのファンやショップスタッフさんが着ていたりで、かなり買うのが大変でした。あとお金もかなりかかりました(笑)」

RAF SIMONSのライダース (志鎌氏私物)
RAF SIMONSのライダース (志鎌氏私物)

---ピーター・サヴィルのファッション業界での功績も偉大ですね。最近でもBurberryのモノグラムを製作するなど精力的に活動されていますし。志鎌さんは、ピーター・サヴィルのビンテージのアイテムなどもお持ちですよね?

「そうですね。デザインがカッコよくてRAF SIMONSとのコラボレーションより前に買ったのもあれば、数年前にたまたま名古屋の古着屋さんで出会って買ったのもあります。Joy DivisionのUnknown Pleasuresは、当時からブートがたくさん出ていたのでスケボーする時のインナーとかで着ていました」

ピーター・サヴィルによるビンテージTシャツ(志鎌氏私物)
ピーター・サヴィルによるビンテージTシャツ (志鎌氏私物)

---ピーター・サヴィルがデザインしたJoy DivisionのアーカイブをChildren of the discordanceにて解体再構築したアイテムもありましたよね。 あのコレクションに使用したアーカイブは、志鎌さんの私物なんですか?

「私物もあるんですが、2年で70着ぐらいコレクション用に集めて解体再構築して製作しました。かっこよければなんでもいいとかで服を作っているのではなく、僕が通ってきたカルチャーをコレクションに反映して製作しました」

Children of the discordanceによる再構築アイテム
Children of the discordanceによる再構築アイテム

---説得力がありますね。Joy DivisionやNew Orderは、当時から聞いていたのですか?

「当時、Maison Margielaのアーティザナルを集めていた先輩がいて、無理やりレコードを貸されていました。初めは貸されても聞かなかったのですが、RAF SIMONSのデザインで興味を持ってから聴き始めました」

---志鎌さんは、当時Maison Margielaのアーティザナルなどは買われていましたか?

「持っていましたが、その先輩に借りパクされました。(笑) Maison Margielaのアーティザナルも昔は探せば普通に買えたんですよ。当時、ムラジュンさんが好きだったのですが、ShantiiとMaison Margielaを合わせるのがお洒落みたいな流れが僕ら周りでありましたね」

---志鎌さんはデザインする上でアーカイブなどから影響を受けたりはしましたか?

「僕は、何かのブランドの服に影響を受けて服を作るっていうのはなくて、スケートやHip Hop、ハードコアなどのカルチャーなどの影響が大きいです。もしかしたら、若い世代のデザイナーさん達は、そういうモディファイもあるのかもしれませんが、僕にとっては若い時から着てきた服は、コレクションですね。どちらかというと海外のWalmartとかスリフトで買えるような$10ぐらいの服をヒントにしたりします。あとは、90年代の東海岸のHip HopのPVはよく見ますね。途中で止めまくってストライプの色とかを研究しています。当時のHip Hopカルチャーベースで服を作るムードは最近多いかもしれません」

---確かにChildren of the discordanceには、ナズのリリックが書かれたアイテムがあったりと東海岸の雰囲気を感じます。志鎌さんは、西海岸のHip Hopを聞いたり、服作りに反映させようとかはなかったのですか?

「興味はありますよ。当時僕の周りにも横浜だったのでローライダーはいましたけど、僕はその格好はしてなかったし、それをやっちゃうと嘘になっちゃうなと思ってコレクションの題材にはしていません」

---ご自身が通ってきたカルチャーではないからということですね。服作りは、Hip Hopをされていた頃からやられていたのですか?

「Tシャツは学生時代から友人と作っていました。絵を描くとかグラフィックを作るのが好きだったので」

---学生時代からですか。そのままデザイナーの道に進もうとしていたのですか?

「いえ、デザイナーになりたいとかは、全くなかったです。23歳ぐらいの時は、Hip Hopはしていたのですが本当にフラフラしていて、レコード売ったり、工場とかでバイトしていました。でもほとんどのお金は服とレコードに使っていました」

---デザイナーになりたいとかはなかったんですね。どのようなきっかけでファッション業界に入られたのですか?

「工場でも給料はよかったんですけど、当時その生活に疲れたんですよ、親には『就職しろ』って言われていたし。そんな中20歳から2年間SHIPSでバイトしていた関係で、本社の上司から『うちで戻ってきて働かない?』と電話があり、これ親も喜ぶなと思ってSHIPSに入社しました。出勤時に全身RAF SIMONSの服を着ていたのですが、当時のRAF SIMONSは、デザインが奇抜な時期で、気持ち悪い奴が入社してきたとかで、2chでかなりDisられていたらしいです。(笑) でも、それが功を奏してか、『面白いやついるから原宿にお店をやらせてみよう』とAcycleのバイヤー兼ディレクターに抜擢されました。最初はわからないなりに試行錯誤して、トータル6年半ぐらいやらせて頂いたのですが、その間にストアブランドもつくらせて頂きました。その時SHIPSさんにお金を出して頂き、服作りをさせて頂いた経験値が今に生きている気がします。あとは、シトウレイちゃんがよく僕を撮影してくれて、TUNEなどの雑誌に載ることによって僕の個性という部分でのプライオリティが会社内で高かったのも大きな仕事を任せてもらえた事につながっていると思います」

---RAF SIMONSがきっかけの一つになったんですね、今、同じデザイナーという立場になってみてどう感じていらっしゃいますか?

「ラフ・シモンズやマルタン・マルジェラは別格ですよ。神様みたいですね。でも、本当に今とんでも無い状況になってきていて、当時憧れていたデザイナーさんやミュージシャンの方々に会う機会なども出てきました。そういう方々に会うのは今でも緊張しますね(笑)」

---最後に志鎌さんにとってのアーカイブの定義を教えてください。

「オリジナルのデザインでかつ、デザインが優れていて、クオリティが高いものですかね。服というよりもアートに近い感覚で、額に入れて取っておきたいような物。あと、服も、本もアートも、レコードも消費されてしまうもので、どうしても時が経つと数が減ってしまう。そういう意味では、コレクターという存在は常に必要で、いないと後世に残っていかないのかなと思います」

志鎌英明 / Hideaki Shikama

神奈川県出身
Children of the discordanceデザイナー
厳選されたビンテージや貴重なアーカイブを大胆に解体再構築した斬新なデザインは、他のブランドとは一線を画しており、国内外で高い評価を受けている。

Photography_ SHUHEI HASEGAWA
Interview &Text_ SHUHEI HASEGAWA

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