INTERVIEW WITH DAVID CASAVANT 1/2

カニエ・ウェストにRaf Simonsを着せたのは誰?

Raf Simonsのアーカイヴを語る上で外せないコレクター達は、世界中に点在する。セルフリッジズやハロッズのバイヤーを経て、クリエイティヴ・ディレクターとして10年以上前にOKI-NIやLN-CCで数々のアーカイヴ企画を行ってきたジョン・スケルトン。リック・オウエンスやリカルド・ティッシのクリエイションを支えてきたことでも知られる稀代のスタイリスト、パノス・イヤパニス。ピースそのものだけではなく、初期の貴重な資料やファン達のスタイルをインスタグラム上でシェアし続けてきた@raf_simons_archivesアカウント。

その誰もがアーカイヴの価値向上に寄与してきたことに疑いようはないが、アンダーグラウンドをメインストリームに押し上げるような、最もドラスティックな影響をマーケットに与えたのはデヴィッド・カサヴァントだ。

アメリカ・ニューヨーク在住の彼は、20代前半にしてRaf Simonsだけでなく、Helmut Lang、Tom Ford for Gucci、Dior Homme by Hedi Slimaneを中心とした「The David Casavant Archive」を立ち上げ、カニエ・ウェストやリアーナをはじめとした現代カルチャーをつくる数々のアイコン達にアーカイヴをリースし続けてきた。

彼がいなければ、2001年秋冬シーズンのボマージャケットが500万円以上の価格で取り引きされることも、ラフ・シモンズ自身が過去の作品を蘇らせた「Raf Simons Archive Redux」コレクションを発表することも無かったのかもしれない。何より、世界中のキッズ達が過去の名作に、そして何よりラフ・シモンズという歴史的なデザイナーの存在に触れる機会は、劇的に少なくなっていたのではないだろうか。

幼少期のラフ・シモンズがファッションとは無縁の田舎町でレコードを収集していたように、アメリカのテネシーでeBayを通じてファッションアーカイヴを集め続けてきたデヴィッド・カサヴァント。どうして彼は収集を始めたのか。アーティスト達にリースをするようになったのはなぜか。そして、そんな彼自身は、一体どんな人物なのか。

インタビューのオファーメールに、「連絡してくれてありがとう」と即返事をくれた彼に、約90分に及ぶZoomインタビューを敢行した。

インタビュー取材を快諾頂きありがとうございます。私自身もRaf SimonsやHelmut Langのアーカイヴが大好きで、もちろん以前からあなたのことも知っていたので、この機会を得てとても嬉しいです。まずは簡単に自己紹介をお願いします。

僕も嬉しいです! ヴィンテージの服、特にメンズのものを所有していて、それらを貸し出ししています。友人のためにコンサルティングをしたり、コラボレーションなどをしたり。以前は自分のことをスタイリストと紹介していたのですが、今ではあまりにたくさんのことを手掛けていて、普通とは言い難い道を歩んできたので……。そうして今のようなことになっているんです。

ファッションに興味を抱いたきっかけ、特にデザイナーズのヴィンテージにどのようにして辿り着いたのでしょうか?

実は自粛期間中にそのことをずっと考えていたんです、「いつの間にこんなところに?」って。テネシー州出身なので、ファッションとは全く縁のない環境で育ったんです。母ががんを患っていて、年中ずっと彼女のケアをしていたんですが、僕が12歳の時に亡くなってしまいました。そんな特殊な経験をしてきた僕は、そこから大きく変わり、周りの誰よりも大人びてしまったんです。
引きこもりとは少し違うんですが、自分の世界にこもりがちになり、他者とコミュニケートするのが難しい状態になってしまっていました。当時からインターネットはあったので、アートやクリエイティヴなものを追い掛けていたのですが、いつからかファッションの世界へとのめり込んでいきましたね。当時のファッションといえばウィメンズのことばかりで、メンズはウィメンズほどではありませんでした。そんな時、ラフ・シモンズという存在にハマりました。メンズウェア業界で斬新かつ他と異なるものを作っていたのはラフ・シモンズとエディ・スリマンくらいでしたからね。ファンタジーや、服と共に作り上げられるキャラクターなど、そうしたメンズウェアの新しい潮流にインターネット越しに熱中していました。

その後、それらの服を買い始めたのですね?

そうなのですが、僕が住んでいた町にはお店がなく買えなかったので、eBayで買っていました。Eコマースが出てきた頃だったのですが、当時はオンラインで買い物をする人はほとんどいませんでした。「オンラインで買って、サイズが合わなかったらどうするの?」といって躊躇している人達ばかりで。でも僕はオンラインで買い集めていたんです。必要品としてではなく、ただ好きで買い集めていたのですが……。ちょっと狂っていましたね!

eBayではどのブランドのものを買っていましたか?

Raf Simons、Helmut Lang、Pradaなどですね。その当時、リセール市場でも高値で取り引きされていたDior Homme by Hedi Slimaneのものはあまり買っていませんでしたが、Raf Simonsや他のブランドはただ同然で購入できたんです。

ということは、13歳の頃からアーカイヴピースを買い集め始めていたのですね。

そうですね。ただ、当時はメンズファッションのコミュニティ自体が大きくはありませんでしたし、18歳でロンドンに移住してからも収集を続けていたのですが、その頃もまだRaf Simonsのアーカイヴですら注目度が低かったんです。2012年にニューヨークに戻り、ちょうどラフがDiorのアーティスティック・ディレクターに就任し、ようやくその頃からですね。今ではティーンエイジャー達がRaf Simonsのことを認識していますが、僕は当時、そうした服にのめり込んでいた数少ないティーンエイジャーで、そんな僕にとってマーケットや人気度合いの変遷はとても興味深いですね。

ご自分のコレクションを貸し出し始めたのは、アーカイヴ市場の盛り上がりがきっかけだったのでしょうか?

いえ、それも偶然だったんです。ロンドンの学校をやめた後、ニューヨークに戻ってカリーヌ・ロワトフェルドの下で働き始めたのですが、僕は大量の服を持っていたので、毎日それらを着て行くとカリーヌが凄く気に入ってくれました。撮影用の服を集めるのが僕の仕事だったのですが、撮影前に必要なアイテムが揃わないことも多々あり、そんな時に「家にちょうどいいものがあるので、明日の撮影に持ってきます!」と言って、持って行った僕の私物が撮影に使用されることもしばしばありました。そんな頃、友人から「アーカイヴを使ったビジネスをスタートさせたらいいのに!」と言われたことをきっかけに、アイディアを膨らませていき、無料で服の貸し出しをスタートさせ、途中から「僕の名前のクレジットも掲載できる?」と聞き始めた頃から本格的に始まったんです。

その頃もまだアーカイヴと呼ばれるマーケットは大きくなかったはずですよね?

全然大きくはなかったですね。Raf Simonsのアーカイヴに関連したプロジェクトを初めて見たのは、2010年頃、ロンドンのセレクトショップOki-niがやっていた企画だったかと思います。でも、その当時から僕はRaf Simonsの服を所有していたので、それも何だか見ていて変な気持ちでしたね。

Oki-niやLN-CCの企画は僕も覚えています。革新的で素晴らしかったのにも関わらず、興味を示す人は少なかったですし、反応があるとすれば「古着のボンバージャケットが何で100万円もするの?」というようなものばかりでした。

そこらへんは全て僕もチェックしていましたよ。ある時、Raf Simonsのスウェットを着ていたんですが、「St John’s Academyに通ってたの?」と聞かれたことがありました。そんな反応があるくらい、ごく普通の服に映っていたみたいですね。その当時の「知る人ぞ知る」っていう感覚も面白かったです。それに、そもそもアメリカでは古着を着る人は少ないですし、アーカイヴやヴィンテージといったことは関係なく、一度誰かに“着られた”服を着ることに抵抗がある人が多いんですよね。

当時の状況をどのように捉えていましたか?

それらのアーカイヴは皆が当時着ていた服よりも格好良かったですし、特にヒップホップのアーティストやラッパーなどに着て欲しいと思っていました。「これら究極のメンズウェアを着るべきだ」って。そこからカニエと仕事をしたことを皮切りに、それ以降は様々なアーティストとも関わるようになりましたね。

カニエ・ウェストはRaf Simonsのアーカイヴという存在を知っていたのでしょうか? それともあなたが教えてあげたのでしょうか?

どちらもですね。もちろん知ってはいたようですが、実物を目にするのはほぼ初めてだったんじゃないでしょうか。最初に遊びに来た時、実物を持っている人に会えたことに興奮してくれていましたね。

カニエや他のラッパー達がRafを着るようになってから、シーンが劇的に変わったことを覚えています。僕はその当時ロンドンにいたのですが、アーティストやセレブリティが突如としてRafを着始めたんです。ストリート系の服を着ていたようなキッズ達もRafを着始めていました。Supremeの服とミックスするスタイリングも見られましたし、何より若い世代にRafが浸透し始めていることが素晴らしいと感じていましたね。

ファッションスクールですらRafに興味を持っている同級生はいなかったですし、僕はずっと独りだったので、こうした状況を待ちこがれていました。僕はクールではないことに慣れっこだったので、今では状況が一変し、急にそれらがクールになってしまったことが何だか面白いんです。

interview text_ YASUYUKI ASANO


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