SUPREME 2018 COLLECTION

Supremeがフィーチャーしたアーティストたち – 3/4

アーティストとタッグを組み、そのアートワークをアイテムに落とし込む。もはやファッション業界において、この手法はなんら珍しいものではなくなった。ただ、そのフィーチャーするアーティストの人選においてSupremeに敵うブランドなんていないだろう。ソウルミュージックのレジェンドにアングラを切り取った写真家、社会に抗ったヒップホップグループからイギリスの天才映像作家まで、古今東西のアーティストを縦横無尽にピックアップし、世間をあっと驚かせる。実際に昨年2018年だけでもSupremeは10組以上のアーティストを取り上げ、そのいずれのシリーズも世界中で大きな話題を集め、瞬く間に完売していた。Supremeのコラボレーションシリーズは、もはや世界中のファッションフリークが期待し渇望しているプロジェクトと言っても過言ではないだろう。ただ、毎回そのプレミア価格やアイテムに使用されたイメージビジュアルだけが先行してしまい、そのアーティスト本人について詳しく知らないと言う人は案外少なくないのではないだろうか。それではせっかくのSupremeのユニークな人選が台無しだ。ブランドの意図を、そしてそのアーティストを知らずに着ているなんてあまりにもったいない。今からでも遅くはない。ここ1年でフィーチャーされたアーティストたちに今一度スポットライトを当て、彼らの経歴や作風について探ってみよう。そうすれば、あなたの手元にあるその一着にさらに愛着が湧くはずだ。

Nan Goldin
- アングラカルチャーを切り取った伝説の女性写真家

ドラァグクイーンやドラッグ中毒者、LGBTQなど、マイノリティの人たちを被写体にシャッターを切る写真家は大勢いる。けれど、その多くは単にマイノリティの人たちを強烈でわかりやすい記号、あるいは自分が名を売るための短絡的なテーマとしてしか捉えていない。そんな写真家の作品は薄っぺらで嘘っぱちだ。そこには何も写ってはいない。本当にマイノリティの人たちを撮りたいのなら、もともとそのコミュニティの一員であるか、そのコミュニティの一員になり、彼/彼女らを深く理解しなければいけない。そのことはナン・ゴールディンの写真を見れば一目瞭然だ。彼女の撮った写真は、被写体との間に壁がなく、彼/彼女らのあらゆる生の側面に寄り添いそれを受け入れ、その一瞬一瞬を共有することで、ときに目を背けたくなるほどの“リアル”を映し出している。

ナン・ゴールディン。写真やアートを生業にする者、あるいはそれを志す者なら誰もが知っている伝説的なフォトグラファーだ。もし知らない人でも、これを機に少しでも興味を持ってくれたら嬉しい。ゴールディンは、1953年にワシントンD.C.で生まれボストンで育つも、11歳の時に姉バーバラが精神を病み線路に横たわって自殺してしまう。それがきっかけで家庭は崩壊。14歳の時に、彼女は家族との絆を捨てて家を飛び出し、ドラァグクイーンらと共に生活を始める。カメラを手にしたのはその翌年で、過去のトラウマに加え、姉が自分の記憶から薄れていくという恐怖から逃れるため、二度と訪れることのない日常の写真を撮り始めたという。のちに彼女の作風として確立されるそのスナップ的なポートレイト写真は、被写体の同居人たちを喜ばせ、彼女も次第に写真の世界にのめり込んで行くこととなる。(ちなみに彼女はそのキャリアの初期において影響を受けた写真家として、ファッションフォトグラファーとしてヘルムート・ニュートンとギイ・ブルダン、ポートレイトを撮る写真家としてダイアン・アーバスとアウグスト・ザンダーの名を挙げている)。それから彼女はエイズに侵された80年代のアメリカやヨーロッパの都市で、自分自身や恋人、友達の日常の姿を見つめ、シャッターを切り続けた。そしてそれは1985年、ホイットニービエンナーレにて約800枚のスライドショーとして発表される。それが、かの有名な「The Ballad of Sexual Dependency(性的依存のバラード)」だ。翌年には同名の写真集も出版され、自身を含むマイノリティの人々を被写体に、ドラッグ、バイオレンス、セックスなど当時の多様なサブカルチャーをストレートに表現したその一冊は、大きな反発と反響を呼び、彼女の名を世界に轟かせることとなった。

そんなアングラカルチャーとそのコミュニティの人たちを赤裸々に映し出したゴールディンの世界に、ストリートカルチャーから生まれ、今もなおアングラな人たちを積極的にフックアップしているSupremeが共感したことは、当然と言えば当然なのかもしれない。Supremeは数ある彼女の作品の中から、代表作ともいえる「Jimmy and Paulette in a Taxi」、友人を撮影した「Kim in Rhinestones」、そしてセルフポートレイトによる「Nan as a dominatrix」という、80〜90年代にかけて撮影されたインパクトある3枚をセレクトし、アイテムに落とし込んでいた。一昨年Instagramを始めたゴールディンも、自身のアカウントにてこのプロジェクトについて「I’m proud !!」と発言している。
LGBTQや#metoo運動が加熱し、女性問題やマイノリティ問題が取り沙汰されたタイミングで、ゴールディンとその作品にフォーカスしたSupreme。このコラボレーション自体が、それらの問題に対するSupremeからの政治的なメッセージだというのは深読みしすぎだろうか。いずれにせよ、彼女の伝説的な作品をSupremeというブランドを通して着ることができるということは幸せなことであり、彼女の新たな作品をリアルタイムで見ることができる時代に生きていることもまた、幸せなことだと思う。

Text_ LUDO OSHIKAWA


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