SUPREME 2018 COLLECTION
Supremeがフィーチャーしたアーティストたち – 2/4
アーティストとタッグを組み、そのアートワークをアイテムに落とし込む。もはやファッション業界において、この手法はなんら珍しいものではなくなった。ただ、そのフィーチャーするアーティストの人選においてSupremeに敵うブランドなんていないだろう。ソウルミュージックのレジェンドにアングラを切り取った写真家、社会に抗ったヒップホップグループからイギリスの天才映像作家まで、古今東西のアーティストを縦横無尽にピックアップし、世間をあっと驚かせる。実際に昨年2018年だけでもSupremeは10組以上のアーティストを取り上げ、そのいずれのシリーズも世界中で大きな話題を集め、瞬く間に完売していた。Supremeのコラボレーションシリーズは、もはや世界中のファッションフリークが期待し渇望しているプロジェクトと言っても過言ではないだろう。ただ、毎回そのプレミア価格やアイテムに使用されたイメージビジュアルだけが先行してしまい、そのアーティスト本人について詳しく知らないと言う人は案外少なくないのではないだろうか。それではせっかくのSupremeのユニークな人選が台無しだ。ブランドの意図を、そしてそのアーティストを知らずに着ているなんてあまりにもったいない。今からでも遅くはない。ここ1年でフィーチャーされたアーティストたちに今一度スポットライトを当て、彼らの経歴や作風について探ってみよう。そうすれば、あなたの手元にあるその一着にさらに愛着が湧くはずだ。
Chris Cunningham
- “奇才”という言葉は彼のためにある
もしあなたがドMだとして、とんでもなく気持ち悪い気分になりたければ、彼の作品を見ればいい。もしあなたがドSだとして、誰かをとんでもなく落ち込ませたければ、彼の作品を見せればいい。彼の紡ぎ出す世界は、いつだって見る者を驚かせ、困惑させ、ときに不快にまでさせる。クリス・カニンガム。1970年イングランド生まれの天才(あるいは変態)映像作家だ。わずか16歳で映像業界に足を踏み入れたカニンガムは、クライヴ・パーカーのもと『ヘルレイザー』のSFXデザインへ参加し、17歳の時にはデヴィッド・フィンチャーの『エイリアン3』制作に参加、さらには映像の神様スタンリー・キューブリックの目に止まり、『A.I.』では特殊効果工房のチーフに抜擢されている。(映画自体はキューブリックの死去により、スティーブン・スピルバーグによって監督された)。名だたる映画監督のプロジェクトに携わったカニンガムは、20代前半で早くも独立。その彼の類いまれな才能を周りが放っておくはずがない。まず彼に白羽の矢を立てたのは、ワープ・レコーズだった。1995年、25歳の時にオウテカの「Second Bad Vilbel」のミュージックビデオを撮影。それを皮切りに数々のアーティストとタッグを組み、数多の衝撃的なミュージックビデオを世の中に打ち出してきた。エイフェックス・ツインの「Come to Daddy」や「Windowlicker」に始まり、ポーティスヘッドの「Only You」、マドンナの「Frozen」、そしてビョークの「All is Full Of Love」まで、30本以上の作品を残している。ビョークの顔を模した2人のアンドロイドが登場する「All is Full Of Love」は、誰もが一度は目にしたことがあるはずだ。
カニンガムはミュージックビデオだけに留まらず、これまでにさまざまなコマーシャルフィルムも手がけてきた。GUCCI、Audi、Sony、Levi’s など、世界的な企業がこぞって彼を監督/ディレクターとして起用している。そして、そのいずれのミュージックビデオも、いずれのコマーシャルフィルムもカニンガムの独自の世界観の延長にある素晴らしい仕上がりとなっている。ただ、ミュージックビデオには“ミュージシャン”、コマーシャルフィルムには“企業”というクライアントがいる。カニンガムの本当のすごさがわかるのは、それらのクライアントの制約から解放され、アーティストとしての本領が発揮されたときだ。そしてそれは、2005年に約6分間のショートフィルムとして結実した。それが「Rubber Johnny」だ。
突然変異し奇形となった子供、ラバー・ジョニーが両親に地下室へと隔離されてしまい、真っ暗な監獄の中で自身を楽しませるための方法を探求していく――。ただでさえ突拍子もないアイディアなのにも関わらず、音楽を手がけるのはあのエイフェックス・ツイン。この作品を生み出したクリス・カニンガムを“奇才”と言わずして何といおう。世を見渡せば、映画や小説、音源の紹介ページで必ずと言っていいほど、“奇才”という言葉を目にするが、そんなポッと出のアーティストに軽々しく使っていい言葉じゃない。“奇才”という言葉は、まさしくカニンガムのためにある。そして、そのクリス・カニンガムと「Rubber Johnny」に再び目を向け、プリントとして落とし込んだカプセルコレクションを発表したSupremeの感覚には、ただただ驚かされるばかりだ。
グロテスクや狂気、オカルトといった要素を最新技術を用いて表現し、そこにある種の美しさを見出したクリス・カニンガム。誰もがアーティストを軽々しく名乗れる時代においても、彼が間違いなく本物であるということはその作品を見れば一目瞭然だ。そしてこのタイミングで彼をフィーチャーしたSupremeもまた本物である。世の女性たちに一言だけ伝えておきたい。もし仮にこのアイテムを彼氏や男友達が着ていたとしても、決して悪趣味だと罵倒してはいけない。そこにはカニンガムの究極の美学と、Supremeの素晴らしい感性が息づいているのだから。
Text_ LUDO OSHIKAWA