INTERVIEW ABOUT MARGIELA / SHOICHI AOKI

1. 映画『マルジェラが語る“マルジェラ”』 の感想をお聞かせください。

感動!!! 歴史に残るすごいドキュメンタリー映画だ! 当時私がリアルタイムで見てきたことや、1995年に一緒に本を作った個人的な思い出が、この映画で一般化されてしまった。嫉妬に近い変な感情が生まれた。それほどリアルで奥深いドキュメンタリーだ。表面からはわからないクリエイションの背景を改めて知ることができた。ドキュメンタリー映画というのは監督が誤解や偏見を当たり前の様に入り込ませることが多い。2019年に日本公開された『We Margiela マルジェラと私たち』がそうだった。しかしこのドキュメンタリーはマルジェラ氏本人がプロデュースしているらしいので、本人しか知らない秘密が歪められずに公開さている。これは新しい形のドキュメンタリーかもしれない。多くの人、特にクリエイターは感動するに違いないが、これを見るファッションデザイナーはどうなのか。勇気をもらうのだろうか、絶望を感じるのだろうか。

2. マルタン・マルジェラの服を目にした最初の瞬間はいつ、どこでしたでしょうか? その時の感想をお聞かせください。

ファーストコレクションの次のシーズンに、パリコレ会場で背中のステッチを初めて見た。グレーのニットだった様な気がする。その時はまだ見たことのないものだったので、何だろうと見ていたら、あれがマルタン・マルジェラだよと誰かが教えてくれた。インターネットもない時代、まだ雑誌にも載っていない謎のブランドだった。売っている所もほとんどなかったと思う。ちゃんと見ることができるようになったのはパリのギャラリーラファイエットの中に店ができてからだった。誰も語らないが、あの最初の旗艦店は奇妙な存在だった。東京では、ファーストコレクションを入れていたところはなかったと思うが、3シーズン目の1990年春夏コレクションのコンビニ袋で作られたベストが、ユナイテッドアローズにワンポールだけ掛っていたマルタン商品の中にあったのを覚えている。「こんなの仕入れてどうするんだろう」と思ったが、今ではすごいプレミアム価値になっている。当時原宿にあったザ・ギンザにもワンポールだけ掛っていた。仙台のリヴォルーションが世界一マルタンの服を売る店だったのだが、ひょっとしたらその当時から幅広いセレクトをしていたのかもしれない。ただ服だけを見てもあの世界観は伝わらない。そういうもどかしさがずっとあった。それがマルタン・マルジェラの本『MARTIN MARGIELA: STREET SPECIAL 1』を作りたいと思ったキッカケの一つだ。

3. 最も印象的なマルタン・マルジェラのショーやアイテム、表現方法などについて、思い出やご意見などをお聞かせください。

最初に観たショーが3シーズン目の1990だ春夏コレクションだった。パリの北の方のあまり治安の良くないエリアで、解体されたビルを囲ったフェンスの中で行われた。他のショーでは見かけない様なファッション好きが集まっていた。フェンスに開いた穴から誰でも入れた。客席もなく地べたにしゃがむ。独特の熱気と一体感だった。アンクル丈のワンピースはカッコ良かった。着物のシルエットを連想させる。その足元には地下足袋シューズが覗く。奇妙な、独特の重ね着、退廃的なムード。それまでは存在しなかった感覚だ。当時はパリコレ常連の老舗ブランドの中で、COMME DES GARÇONSとJEAN PAUL GAULTIERが新しい風として突出していた時代で、若者たちの熱狂はそこに向かっていた。そこにマルタン・マルジェラが今までに存在しなかった世界観を纏って登場したのだ。未だに陳腐化しないその世界観の強度。それ以降、マルタンのショーはどれも印象的だった。毎シーズン全く違った形式でショーを行うというのは他に例がない。パリでの話題の中心はマルタンになり、インビテーションの入手が困難になっていき、会場に入るのが難しくなっていった。当時はルーブルの中庭のメイン会場でショーをやるのが普通だったが、マルタンがきっかけだったと思うが、若手のデザイナーたちがパリの様々な個性的な場所でショーをやる様になり、メイン会場でやるのは老舗のブランドだけになった。

4. ファッション史を振り返って考えてみた時、ファッションデザイナー マルタン・マルジェラ はファッション界にどのような影響を与えたと思われますか?

全く新しい世界観、美意識をファッションの世界にもたらした。ファッションのみならず、その周辺のクリエイションにも大きな影響を与えた。ファッション写真、店舗、ショーの形式、スタイリング、等々。今もその影響下にある。反対意見もあると思うが、VETEMENTSとOFF-WHITEがファストファッションの蟻地獄から救ってくれたと思っている。そのVETEMENTSはマルタン・マルジェラのシミュレーションから始まっているし、OFF-WHITEのヴァージル・アブローはマルタンの名前と、マルセル・デュシャンの名前をよく出していて、コンテンポラリーファッションを唱えている。

5. マルタン・マルジェラが作る服そのものは、他のデザイナーが作る服とどのように異なり、どんな所に凄さがあったとお考えですか?

世界観の中で服を作るのがデザイナーだと思うが、その世界観が誰かが作った世界観なのか、そのデザイナーが作り出した世界観なのか。そのスケールと強度。ヴィヴィアン・ウエストウッドがパンクファッションというカテゴリーを作り出したように、川久保玲がCOMME DES GARÇONSという世界観を登場させたように、ココ・シャネルが新しい女性服の道を切り拓いたように、マルタン・マルジェラは独特の世界観を作り出した。その世界観の断片として服が存在する。買って着てみるとわかるが、その世界観はアイテムの細部にも徹底している。見えないところにも妥協しないクラフツマンとしてのこだわりも強い。決して表面的な世界観ではない。マルタン・マルジェラの服は決してコーディネートが楽な服ではない。一見シンプルなアイテムでも実は着こなしが難しかったりする。面白いのは他のシーズンのアイテムを、数年前のアイテム同士をミックスするコーディネートができるところだ。意外とこのことも革新的だったりするのだが。

6. 初めて購入したマルタン・マルジェラのアイテムはどのようなものでしたでしょうか? その時のエピソードをお聞かせください。

いつかは忘れたがかなり初期に購入したカーコート。当時はレディースしかなくて、やや大きめのサイズ展開をしていたこのカーコートがジャケット的にフィットしたので初めて購入できた。パリのギャラリーラファイエットの中の店だったと思う。

7. 今もまだ着用・愛用・所有しているアイテムがありましたら、詳しくお聞かせください。

上記のカーコートは数年前までは私の秋冬の定番だったが、ちょっとデザイン的に合わなくなってきたので最近は着ていなかった。そろそろまた着れるかもしれない。それと古着のリーバイスのGジャンにペイントしたアイテム。今でも春と秋にはそればかり着ている。これも最初に出た時にはレディースサイズだけだったので、購入できなかった。数年後に知らないうちにメンズサイズも出ていたようで、いろいろ探した時があって、あるスタイリストの人がネットで出品しているのを発見して購入した。展示会でプレスのパトリックが、「リーバイスのタグを取ったり、ペンキも特殊で塗るのは大変で、リベットボタンもオリジナルを作って付け替えていて、色々大変なんだ」と言ってたのが印象的だった。

8. 現在、アーティストとしての活動をしていると言われているマルタン・マルジェラですが、いつかファッション界に復帰して欲しいと思われますか? 今後の彼にどのような活動を期待しますか? その理由と共にお聞かせください。

アーティスト活動は期待通り。見に行きたい! 元々コンテンポラリーアートの一環としてファッションをやっていたのではないかと思わせる節がある。ファッションでは解体と再構築と言われているが、コンテンポラリーアートの文脈では明らさまにシミュレーショニズムだ。シミュレーショニズムはコンテンポラリーアートの重要な文脈だが、ファッションにシミュレーショニズムを取り入れていた唯一のデザイナーだと思う。マルタン本人もマルタン・マルジェラを超えられるか疑問なので、ファッション界への復帰は期待していない。

9. マルタン・マルジェラ本人に、メッセージをお願い致します。

Hi Martin,
Thanks a million!
I love you!

青木正一

雑誌『STREET』『FRUiTS』『TUNE』ファウンダー
https://www.street-eo.com
@aoki_street.1985


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