INTERVIEW WITH MICHIHIKO KURIHARA

探求し続けるアメリカンヴィンテージ

多くのブームは、突如出現し季節が巡るにつれて忘れ去られてゆくのが常だが、アメリカ古着に限ってはいくどか過ぎ去ったブームの後でも本質的な価値が変わることはなかった。愛好者たちは、時代をまたぎ衣服の背後に物語を見出し、紐付け体系化し続けた。ディテールの変遷や時代ごとの特徴をまとめた記事などその考察も多岐にわたっている。

アメリカ古着に影響を受けたデザインは数え切れないほどある。特にその初期に生み出された型からは無数の類似物が生産され続けている。生活環境が一変した今もなお、そのようなアイテムの魅力が尽きないのは何故だろうか。生まれながらにして高い完成度を保っていることも要因の一つだろう。シンプルな型ほど、そこには必然的な理由が純粋な形で埋め込まれている。一方で、複雑な型ほど特定の時代に応じた瞬発的な必要性が記録されているとも考えられる。

SNSの普及によるデッドストックの高騰を耳にするようになった。時を同じくして惜しまれながら閉店した有力店のニュースも目にした。マーケットもアメリカと日本の関係だけではなくなったと聞く。アメリカ古着という大国の国名が冠についた業界では、今何が起きているのだろうか。ミスタークリーンの代表でフリーランス・ヴィンテージバイヤーとしても活躍する栗原道彦氏にお話を伺った。

INTERVIEW WITH MICHIHIKO KURIHARA

そもそもアメリカ古着にのめり込んでいったきっかけは何だったのでしょうか?

友人の一人にアメカジが好きな奴がいてその影響で興味を持ちました。一番最初は、いわゆる街のジーパン屋さんで当時アメリカ製だった新品のLevi’s 517を買いました。その後は、雑誌『Boon』などの影響もあってLevi’sの他にもVansonやSchottなどのアメカジブランドに惹かれていきました。ファストファッションもなかったので限られた予算で色々買おうとすると選択肢が古着に絞られていきましたね。そのまま古着を買い出して、どっぷり浸かったという感じです。

その後、栗原さんは原宿のロストヒルズでバイイングを担当され、今ではご自身のお店ミスタークリーンを構えていらっしゃいますね。衣服を販売する立場になってからの変化はありますか?

日本の場合、80年代頃から古着の市場があるのですが、今はかなり成熟しています。僕のお店のお客さんですと10代から20代前半の若い子は少なくて、20代後半から40代、50代あたりがメインです。なので皆さんはある程度、アイテムを持っている方々です。例えば最近だとChampionのリバースウィーブだったりモヘアのニットの値段が急激に上がっているのですが、当時の値段を知っていると、中々手を出しづらいという感覚はありますね。

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お店の下げ札には、栗原さんご自身が手書きで年代やモデル名、リペア箇所に関しての記述をされていますね。

僕が常に店頭に立てないというのもありますが、ダメージやリペア箇所に関しては、買う前にきちんと見て納得してもらいたいからですね。アメリカでの買い付け現場でも室内が間接照明のみだったり、まだ暗い朝方にフリーマーケットを回ることも多いので、どうしても後からダメージに気付くということがあります。ミスタークリーンの店舗照明が昼白色なのは、そこに対する反動ですね。お店では洗濯やリペアなどを経た状態で値段もクリーンにというか、適正な状態で出していきたいですね。

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ミスタークリーンというお店の名前の由来を教えてください。

そもそも一番最初のきっかけは13年くらい前のことです。日本では展開してないP&Gのクリーニング用品にミスタークリーンというブランドがあって、そのキャラクターがスキンヘッドで結構マッチョなお爺さんなのですが、それに僕が似てるというところからです。そのキャラはメキシコでも結構ポピュラーな存在でメキシカンのディーラーが他のディーラーたちに僕を紹介する際にその名前で呼んでくれたのがきっかけでした。結局、日本人の名前だとなかなか覚えてくれないので。僕の名字が“クリハラ”ということもあり、縁を感じてお店の名前にしました。

日本人の古着に対する向き合い方についてお聞かせください。例えばジーンズに関する百科全書のような本が出ていたり、ディテールに関して異様なこだわりがあったりと……。

やっぱりここまで極端に年代やディテール、ブランドの特色を調べ上げたのは、ほぼほぼ日本人だったと思います。ミリタリーのアイテムに関してもそうですね。結局、日本人の方がアイテムに対してよりシビアといいますか……。例えばチノパンが流行っていた時もアメリカ人だったらカーキで綿100%のパンツだったらOKとなるところを、M-45のダブルステッチが良いとかメタルボタンが良いからM-41が欲しい、など凄く細かいところまでこだわりますよね。

国内の需要に伴い古着の分類化が進んでいった結果、それぞれのアイテムの価値や文脈が体系化されていったのでしょうか?

基本的にはそうですね。分類化だったり相場に関しても日本人が最初に作り上げたと思います。90年代までは、eBayやSNSもなかったので、基本的にはアメリカ古着における日本のマーケットが占める割合はおそらく九割以上だったかと。結局、日本で売れる値段によってアメリカでの価格が成立するという構図がありましたね。

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eBayやSNSが普及してからの流通は、どのように変化していきましたか?

それこそ日本国内の話ですが、90年代に『QUANTO』という雑誌がありました。今でいう電子掲示板の紙版で電話帳のような誌面でしたね。売りたいアイテム名や値段があって、住所も電話番号も載っていて当人同士が直接売り買いするよう形です。今でいうCtoCの売買そのものですね。その頃は、現金書留が主流の時代でした。今は支払いもPayPalであったりとか、海外に送金する方法も増えていますよね。EMSなど郵便局からの発送も昔だったら一ヶ月掛かったところが三~四日で届きます。ただ、大きく変わったのはCtoCでの取引が全世界で主流になったことですね。例えばeBayやInstagramを通じて日本のユーザーが直接アメリカ人のディーラーから買える状況になっているので、僕らとしてはすごくやりづらいといいますか……。

日本国内での消費の仕方には、どのような影響がありましたか?

アメリカだとここ数年、カニエ・ウェストやジャスティン・ビーバーが着たTシャツの相場がそれまでの三倍、四倍になることが当たり前でした。ただ日本人の昔から古着を買ってる層はある程度ひねくれてる人たちだと思うので、全員が全員右に倣えという風にはならないですね。木村拓哉さんによる古着ムーヴメント以来はそういったことは滅多にないのではないでしょうか。基本的にヴィンテージ古着に関しては、着て飽きたら売るというものでもないのでコレクター的に集める方が多いですね。ここ数年でデッドストックのデニムには凄い値段が付いていて、数年前に比べて三倍くらいまで跳ね上がっています。投資として買う人たちも増えた印象です。

一年間の約半分をアメリカで過ごされているとお聞きしたのですが、このコロナ禍での変化はありましたか?

今までは、基本的に六週間毎にアメリカと日本を行ったり来たりしていました。ただ、去年2月の後半に日本に帰ってきてお店を閉めてからは様子見をしていたのですが、アメリカがかなり悪い状況になってしまったので6月までは行かなかったですね。なので三ヶ月間くらい日本にいたのですが、そんなことは十年ぶりでした。ただ、お店の商品が足りなくなってきたのと、卸で行なっているブランドさんへのリメイク用の古着の調達も進めなくてはならないというところもあって6月にはアメリカに戻りました。今は、二週間の隔離期間を含めて八週間日本で八週間がアメリカというスパンになりましたね。

一般的にはECでの売買も主流となりましたが、現地での取引にはやはり特別な喜びを感じますか?

それは、勿論ありますね。僕自身も日本にいる間に現地のディーラーから写真が送られてきて買ったりもするのですが、対ディーラーとの取引だと安く買える可能性はほぼないですしね。未だに現地のスリフトショップでは、日本での売値が数万円以上のアイテムが5ドルとか10ドルで買えることも年に数回はあります。それが楽しくてこの仕事をやってるというのが根本にありますね。本当にギャンブルをやっているようなものなのですが(笑)。

たしかに日本にはスリフトショップのような場所がありませんね。

日本には、衣服を寄付するという文化自体がないですよね。基本的にアメリカのスリフトショップは寄付で成り立っています。そこにはアメリカの国民性や宗教性がありますね。日本だと近い業界は、リサイクルショップだと思うのですが、基本は買取ですよね。

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古着の買い付け時に起きた印象的なエピソードを教えてください。

僕が独立する前の2007年頃、LAのディーラーからテキサスに大きいARMY NAVY STORE(米軍から払い下げられたアイテムを一般に販売しているお店)があると教えてもらいました。そこは普段行ってる場所からは車で一時間くらいの場所で、特にそこまで期待もせずに行ったところ、一階から四階まで全部古着でぎっしり詰まった築百年以上のビルがあったんです。2007年から毎回行く度に2~3日かけて掘り続けるというのを十年近く行ったのですが、それでも結局最後まで見ることができませんでした。そのオーナーも最終的に商売自体を辞めてしまいましたね。ただそこから出た物は、今でも日本中を流通していると思います。特徴的な囚人服など色々出ました。

アメリカでは、エリア毎に地域や文化に根ざしたアイテムが出てくると聞いたことがあります。今現在もそうなのでしょうか?

エリアによってもともと新品で売られていたアイテム、ブランド等が異なります。炭鉱があった場所ではワークウェア、畜産農業が強いところではカウボーイに関連するランチウェア、シアトルやポートランドはグランジなど音楽カルチャーに影響を受けた衣服もありました。デニムで言うとLevi’sはカリフォルニアからニューメキシコに掛けてが強く、テキサスではWranglerが選ばれていたりもしますね。ただ、SNSが進化してからは地域性というのは薄まってきた印象です。

最近では、ヴィンテージを忠実に再現した衣服も次々に生産されていますが新品のアイテムに袖を通すことはありますか?

新品も着ますし、ヴィンテージからインスパイアされたアイテムも全然好きですよ。昔は、オリジナルじゃないから駄目だというオリジナル原理主義的な考え方だったんですけど今はもう全然気にしないですね。例えばスニーカーでオリジナルが50万円する物が、レプリカでも作りがちゃんとしていて2万円で買えるのであれば、それはそれで良いと思えるものもあったりします。

きっかけとなった出来事は何だったのでしょうか?

やっぱり根本的にファッションとして捉えていきたいという気持ちがあるからだと思いますね。僕も古着を着始めた十代後半の頃なんかは、MA-1のファーストモデルにLevi’s 501XXの革パッチを履いてCONVERSEのチャックテイラーを合わせたりしていましたし、もちろん全身ヴィンテージを着ている人を否定するつもりはないですよ。ただ、お店だけでなく卸用の買付けもやってると、自分が本来興味がなかったような物を買う機会も多いので、新しい発見があったり、着たいなと思うことが増えてきた感じですね。

今現在も古着において一番価値があるとされるコンディションは、デットストックの状態だと思うのですが、市場においてその価値観が揺らいだことはありましたか?

基本的には、いつの時代もデッドストックの価値が一番高いです。ただ、2000年代前半くらいにはダメージがある物への評価が高まりました。物によっては、デッドストックのアイテムより、ダメージ自体に独創性やオリジナリティがある物のほうが値段が上がることもごく一部ですがありましたね。後は、Levi’s 501XXなどはデッドストックに近い物と色落ちが良い物とだったらあまり値段が変わらなかったりもしましたね。そういった意味では、その時期に買う層が広がっていったということだとも思いますね。

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日本以外にもタイなど東南アジアのマーケットにもヴィンテージ古着を卸されていますね。東南アジアでの古着の需要にはどのような傾向がありますか?

それこそ昔からアメリカで古着を仕入れるマーケットとして一番大きいのがLAで、幅広いジャンルのアイテムが全米中から集まってきます。そのLAのマーケットでもタイの人たちはかなりの割合で働いていましたね。実際、古着の仕事をしてる白人の人たちってイメージするほどはいないんです。例えば、ヘラーズカフェのラリー・マッコインだったり有名なディーラーは色々いるのですが、彼らは一部のハイエンドな物を取り扱っているのがほとんどで、実際にラグハウスや倉庫で働いていたりフリーマーケットに出品しているのは、メキシカンだったりタイの人たちですね。2000年代の後半くらいからはタイのマーケットも成熟してきて、今まで日本人に売っていた値段よりタイに送って直接売った方が高いという状況になりました。CONVERSEの相場などは、もう7~8年くらい前から日本よりタイの方が高いですね。なので、タイで売れる値段によって日本での価格が決定するという、かつてのアメリカと日本の関係のようなケースも生まれています。僕も2017年と2018年にバンコクで行われたヴィンテージのイベントに出店しに行きましたが、予想以上にとんでもない反響で驚きましたね。

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タイ国内で独自に生み出された流行などはありましたか?

やっぱり現地でも強いのはFacebookとInstagramです。なので流行自体は、日本とそこまで変わらないのですが、気候の影響もあってタイでは売れるアイテムがシャツとジャケットくらいまでで、セーターを買う人もいなければPatagoniaを買う人もいなかったですね。タイは物を買う人たちがたくさんいる半面、物を売る人たちもいっぱいいます。パキスタンだったりカンボジアからも商品が入ってるのでタイ国内での需要がない物は、そこからまた卸にかけられます。特に韓国、台湾、香港の古着屋さんで実際にアメリカまで行く人はほとんどいません。タイに行くか日本に来るかの二択にになっていますね。僕も卸として、タイやマカオだったり香港や台湾のお客さんと取引をしています。元々日本とアメリカで行なっていたことが各地に分散化している印象ですね。

ファッションブランドのリメイクアイテム用にも古着を買い付けてされているというお話がありました。リメイク古着の生産工程には、衣服の形を変形するという行為も含まれていると思うのですが、そこに抵抗感を感じたことはありますか?

そもそも元々は古着の中でも売れない物を使うということが前提だったんです。実際に量産できなければならないですし。Championのリバースウィーブなどは十年前には全然売れなかったので、今だと大体売値が一万円以上する物を当時1,200円くらいで卸していました。数年で相当な枚数が日本に入ったのですが、その多くが切り刻まれて、クッションになったりと服としての原型を留めていません。そういった意味では、あの時もったいないことしたなという気持ちもあるのですが、ただ当時としては売れない物をそういう風にしているので……。

新しく古着を買い付ける際に意識されていることはありますか?

時代によって変わってくる感覚は意識していますね。同じアイテムでも、例えばLevi'sのトラッカージャケット、70505などは十年くらい前だとサイズ36が一番良くて、サイズ34になると本当にレアアイテムという扱いだったのがサイズ40以上になると途端に売れなくなるという感じでした。ところが今はサイズが大きい物に価値が付いて、36と46だったら下手したら倍くらい値段に差が付きますね。やはり時代感やトレンドもモノの価値に加味されていくので、昔のことだけを知っていれば良いということでもないのです。自分もまだまだ知り続けなくてはならないと思います。

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現地からのInstagram投稿などからも伺えるのですが、栗原さんはアメリカでの買い付け自体を非常に楽しんでいる印象です。

そもそも僕は、アメリカに行って古着を買うこと自体が好きでこの仕事をしています。なのでもしかしたら、ずっとはお店をやらないかもしれないし、逆にアメリカで色々買える物が増えたら違うお店をやるかもしれない。今は分からないですね。ただ、これからもアメリカに行って古着を買うことを続けたいですね。

Interview text_ SHINGO ISOYAMA