DESIGNER INTERVIEW Vol.01
sulvamデザイナー藤田哲平氏が語る、 3人のクリエイターとアーカイブの現在
今現在、ファッション界において大きな流れの一つと言えるのが、デザイナーズブランドの“アーカイブ”への再評価だ。 RAF SIMONSやMaison Margiela、COMME des GARÇONSを筆頭に、その流れは加速し続け、今なお止まるところを知らない。しかし、この“アーカイブ”という新たな価値観はいかにして生まれたのだろうか? この流れの中で本当に注目すべきクリエイターは誰なのか? 今本当に手に入れておくべきアイテムは何なのか?「OR NOT」では、国内外の著名デザイナーの声を通し、それらを紐解いていきたい。
第1回は、ミラノやパリへと発表の拠点を移し、今や日本を代表するブランドの一つとなったsulvamの藤田哲平氏が登場。藤田氏に自身も影響を受け、そしてアーカイブも注目すべきクリエイターとして3人の名を挙げて頂いた。ジュディ・ブレイム、ラルフ・ローレン、そしてジョルジオ・アルマーニ。国籍もクリエイションも全く異なる3人は、若きデザイナーの目にどう写っているのだろうか。彼らのクリエイションやアーカイブについて話を伺った。
ガラクタに命を吹き込んだ表現者、ジュディ・ブレイム
---まず初めにジュディ・ブレイムについてお伺いさせてください。
「ジュディ・ブレイムは俺にとって、ファッションデザイナーというよりは表現者なんです。ヴィヴィアン(・ウェストウッド)たちとパンクカルチャーの中心にいた人物ですが、服としてはおそらくプリントTシャツぐらいしか作っていなのではないでしょうか。彼のすごいところ服作りではなく、ただのボロ切れやガタクタを拾ってきて、そこに信じられないぐらい大量の安全ピンをくっつけたり、ボタンを縫い付けたりして、一つの作品に仕立てあげたところです。“自分はこれがやりたいんだ”という強い欲求をひたすらぶつけることにより、それが単なる布切れでも作品として成立してしまう。そんなことができるのは彼以外他にいません」
---そのジュディの姿勢は、sulvamの服作りにどう影響を与えているのでしょうか?
「単に安全ピンをたくさんつけたり、ボタンをたくさん縫い付けでも。決してジュディの作品のようにはならないんです。ただ安っぽくなるだけで、そこには何の魅力も感じない。THOM BROWNEも2012A/Wで大量の安全ピンやスタッズを使用したコレクションを発表していて、確かにカッコよかったのですが、アイテムのアクセントとして付いているだけであって、ジュディが持つような欲求はそこにはなかった。sulvamでは自分の作りたい服を作っているのですが、それでも自分の欲求のままにこれ以上ハサミを入れると『これはやりすぎかもな、これだと売れないだろうな』という躊躇いはあります。そんな時、ジュディの存在が頭によぎるんです。彼だったらバランスなんて考えず迷わずハサミを入れるだろうなと。そういう風に、大事な判断の節々で彼のことを考えますね」
---ジュディのアーカイブ作品を身に付けたいと思いますか?
「sulvamで自分が着たい服を作っているから、ジュディの作品を着たいとかコレクションしたいとは思いません。これだけ作り手の欲求がぶつけられた作品があるという事実を知っているというだけで満足です。世の中にオーダーメイドや一点物と呼ばれるものは沢山ありますが、彼の作品はそれらの中でもとりわけ異彩を放っていますよね。残念ながら昨年亡くなってしまいましたが、まだ生きていたとしても、彼の姿勢は何も変わらないと思うし、同じことをやり続けていると思う。同じ何かを作る人としてリスペクトしています」
“世界の定番”を生んだラルフ・ローレン
---次にラルフ・ローレンについてお伺いさせてください。
「中学1年生の頃、地元の古着屋でRalph Laurenのボタンダウンシャツを購入したんです。そこの古着屋にはシャンブレーからストライプ、タンガリーまで素材違いや色違いで並んでいて、全部Ralph Laurenのボタンダウンシャツなのに、ひとつひとつ全ての表情が違うところに惹かれましたね。そこからどハマりしました。あ、先ほどsulvamで自分が着たい服を作っているから他は着ないと言いましたが、唯一Ralph Laurenの服は着るかもしれません。Ralph Laurenの服って生活の中にあっても違和感がないんです。カジュアルやスーツ、ドレスから『RRL』のようなマニアックなところまで網羅していて、生まれたばかりの子供から年配の方まで老若男女が着れる。そんな服はRalph Lauren以外ありえない。もはや世界的な定番ですよね。そんなブランドをたった一代で築き上げ、しかも未だに現役のラルフ・ローレンは本当にすごいと思います。何十着、何百着とあって、どのアイテムを手にとっても“ラルフ・ローレンぽくないな”とは思わない。逆に言うと全てに一貫して“ラルフ・ローレンらしさがある”んです。この領域までいくともうどのブランドも敵わない。仮にラルフ・ローレン本人が亡くなったとしても、このDNAは受け継がれていくのではないでしょうか」
---Ralph Laurenというブランドは、藤田さんの服作りにどう影響していますか?
「Ralph Laurenは世界的な定番であると同時に、僕の定番でもあるんです。だからこそ、sulvamとして服を作る際にはRalph Laurenのような服は絶対に作らないよう心がけていますね。仕立ての良いボタンダウンシャツも。綺麗な紺ブレも、すでに彼が作っているから作る必要がない。そういった意味で、俺はRalph Lauren以外のものを作っていると言っても良いのかもしれません」
時代を超越したデザイナー、ジョルジオ・アルマーニ
---ジョルジオ・アルマーニについてお伺いさせて頂けますでしょうか?
「ブランドとして好きなのがRalph Laurenだとしたら、デザイナーとして好きなのがジョルジオ・アルマーニです。アルマーニの素晴らしいところは、男性女性いずれの体のラインも徹底的に熟知していることですね。80年代にメンズではビッグショルダーを打ち出しましたが、肩パットは外すことによって、一見かっちりしていても実は肌にしっかり寄り添った服になっている。一方、ウィメンズの服にはあえて肩パットを入れることにより、かえって着る人の女性らしさを引き立てるようにデザインされている。約1年前にミラノでsulvamのコレクションを発表した際、アルマーニの本社にある美術館に行ってみたんです。そこには70〜80年代からのプレタポルテからオートクチュールまでもが展示されていたのですが、そこにあった服すべてが理にかなっていてパーフェクトでした。そこで面白いと思ったのは、70年代や80年代の服を見ても、全く古臭くないんです。むしろ古く見えないどころか、今着れる服ばかりでした。これが他のブランドなら絶対そうはならないと思います。そこには時代やトレンドに流されない、アルマーニ本人のデザイナーとしての本質が見て取れました。偉そうな言い方になってしまいますが、彼を超えられるデザイナーはいないと思いましたね」
---実際にGiorgio Armaniの服を身につけたいと思いますか?
「スーツは着たいですね。実は今でも国内の百貨店のインポート部門で一番売り上げているのはずっとGiorgio Armaniだそうです。日本では少しギラついた人たちが着ている印象がありますが、みんな一度Giorgio Armaniのスーツに袖を通してみてほしいです。本当に素晴らしいので。Giorgio Armaniのスーツを着れば、ネガティブな気分には決してならないと思います。Tom Fordも良いけど、俺はやっぱりGiorgio Armani派ですね」
新しく生まれた“アーカイブ”という価値観
---3人のクリエイターやそのアーカイブについて語って頂きましたが、現在のアーカイブ再評価の流れについてどういった印象を受けますか?
「“アーカイブ”というのはここ10年内で生まれた新しい価値観ですよね。それまで古着屋なんかでは、100年以上前のものは“アンティーク”、100年以内のものは“ヴィンテージ”という呼び方をしていた。ではなぜ“アーカイブ”が注目を浴びたかというと、時代の流れが異常に早くなってきたからだと思います。それまでのモードの世界にストリートが加わったりして、次から次へと新しいものが出てきた。そうして色んなものが飽和した状態で、何が残るか、何に注目すべきかを考えた結果、アーカイブという一つの答えに行き着いたのではないでしょうか。それにいち早く気づいたのが川久保さんですね。絶対に下がっていく古着というものを、アーカイブとして展示し販売することで価値を保つどころか高めてしまった。エキシビションのタイミングや手法も完璧でした。あとマルジェラ時代のHERMESのエキシビションも大きかったと思います。時代の流れが早すぎるからこそ、過去に目を向け、再発見する。いちデザイナーとしては嬉しい流れです」
---藤田さんにとってアーカイブとはなんでしょうか?
「流行り廃りではない、今後絶対に無くならない価値観ですね。服としては、何もデザイナーズブランドだけがアーカイブではない。80年代以前のオーダーメイドで作った服、例えば祖父が昔仕立てたスーツだってアーカイブなのではないでしょうか。要はその時代を生きてきて、今なお残っている本物のことをアーカイブと呼ぶのだと思います」
藤田哲平/TEPPEI FUJITA
1984年10月9日 千葉県生まれ。2003 年から 2006 年まで某セレクトショップにて販売員、バイヤーとして勤務。その後、2006 年から 2013 年まで株式会社ヨウジヤマモトにて、企画部パタンナーとして勤務。2014 年 4 月より、株式会社サルバム設立。sulvamスタート。
Photography_ TAKAO IWASAWA
Interview &Text_ SOHEI OSHIRO