INTERVIEW WITH VINTI ANDREWS
一大ブームを築き上げたUKサステナブル
2005年前後の東京や大阪における局地的なストリートスタイル・ブームにおいて、ヴィヴィアン・ウエストウッドのアーカイヴ・ピースや、KTZやベルンハルト・ウィルヘルムといったニュークリエイター達の最新作と合わせ、当時のファッション・アイコン達がこぞって着用していたレーベルが、ヴィンティ・アンドリュース。2001年にセント・マーチンズを卒業したヴィンティ・タンとポール・アンドリュースが手掛ける同レーベルは、リーバイスのリメイクジーンズやジオメトリックなパターンでパッチワークしたNIKEのトラックジャケットなど、古着の再構築やハイエンドブランドのリサイクルを通じて数々の名作を生み出してきた。ストリートスタイルとアンダーグラウンド・ミュージックという如何にもロンドンらしいカルチャーをインスピレーション源とする彼らのコレクションは、リメイクを得意とするデザイナー特有の反体制的なエッジの中に、どこか彼らの人柄が現れたかのような不思議な柔らかさが共存する。当時から15年以上の時を経て、ロンドンと上海にショップを構えながら継続的にファッションウィークでもコレクションを発表するなど、今も精力的活動を続ける二人にインタビューを敢行した。
お久しぶりです。今、ロンドンはどうですか?
ロンドンは徐々に回復してきて人々が仕事に戻り始めていますが、海外渡航が再開されるのが待ち遠しいです。今すぐにでも再開してほしいですね。
Vinti Andrewsのブランドコンセプトを教えてください。
コンセプトは、アウトサイダー・アンダーグラウンドなデザインによる、一種のサブカルチャー・アンチファッションです。
いつ、どのような経緯で一緒にブランドを立ち上げることになったのでしょうか?
セントラル・セント・マーチンズの学生時代から一緒に仕事をするようになり、ロンドンのKokon to ZaiやThe Pineal Eyeというセレクトショップ用に洋服を作り始めました。その後、ヴィンティがヴィヴィアン・ウエストウッドで働き、その数年後に正式にブランドをスタートさせました。
デュオでのデザインプロセスはどのようなものですか?
シーズンにもよりますが、だいたいポールがコンセプトをデザインして、ヴィンティがパターンを担当しています。
衣服の再構築、高級服のリサイクル、細かいアップリケ、強いグラフィックなど、どのようにして自分のシグネチャースタイルを見つけ出したのでしょうか?
私たちは、人々がもう欲しがらない衣服を蘇らせて、クールに仕上げるというアイデアがとても好きでした。またディテールや手仕事で、ちょっとしたプラスアルファを加えることも心がけています。
私がこのブランドを知ったのは、日本のストリート系雑誌で、もう15年近く前になると思います。当時、多くの日本のストリートアイコンが、ディストレスト加工されたリーバイス501やナイキのパッチワークトラックジャケット、レザーバイカーバッグなど、あなたの素晴らしいアイテムを着用していました。東京での広がりのきっかけやストーリーは何だったのでしょうか?
最初のコレクションは、原宿のFaline Tokyoと渋谷のMidwestという二つのショップがセレクトしてくれたのですが、彼らのお客さんは私たちがやっていたようなヨーロピアンテイストのデザインにとても興味を持ってくれていたようです。また、青木正一さんの雑誌『FRUiTS』や『TUNE』では、上質なヴィンテージやデザイナーのブランドミックスが取り上げられていて、日本人はそれを理解して大切にしてくれていると思います。
当時のパンクなムードに比べ、現在のコレクションはより繊細で柔らかく、洗練された印象を受けます。この10年間で、コレクションはどのように変化してきましたか?
最初ブランドを始めた時は、ダブステップ、ヘビーベースエレクトロ、メインストリームポップのクレイジーハードなブートレグなど、当時のUKアンダーグラウンドミュージックにインスパイアされて始めました。それらの音楽がクラッシュし、その時代のカルチャーを作り上げていたのですが、当時は洋服でも同じようなことをしていたんだと思います。ブランド、技術、色などをクラッシュさせることで、新しいものを作り出そうとしていました。BurialやOvermono、Kucka、新しいWhite Ringなど、今のアンダーグラウンドの音楽からもインスピレーションを受けていますが、今の音楽は何層にも重なっていて、より繊細なものになっています。一つや二つのテーマだけでなく、さまざまな影響を受けて細かいレイヤーを重ねながらコレクションを作り上げていく、それが私たちの目指すところなのだと思います。
ロンドン・ファッション・ウィークでデジタル上映された2021年秋冬コレクションについて教えてください。
私は実家のあるデボンに戻りました。デボンはイギリスの田舎町で、サーフィンやアウトドアカルチャーが盛んなところなので、コレクションもそのような環境からインスピレーションを受けました。デザインは、イギリスの冬の花畑、90年代初期のスケートボード、冬のサーフィンをヘビーグランジの美学で包み込み、またロケットガール・レコードというイギリスのレコード会社の特にWhite Ringというバンドも聴きながら進めていきました。また Michiyo Yanagiharaという素晴らしいフォトグラファーとよく仕事をしていたので、彼女に私の地元に来てもらい、地元の女の子をモデルに起用して映像撮影も敢行しました。デボンやコーンウォールの表面的な側面ではなく、この地域の英国文化をできるだけリアルに表現したかったんです。
数年前に上海店をオープンするなど、中国でも大きなファンを持つようになりましたね。彼らは、あなたの作品のどんなところが好きなのでしょうか?
上海の人々は、フェミニンなスポーツウェアを軽やかなドレスに作り変えたようなものが好きだと思います。また、ロンドンのショーディッチには私たちのメインストアがあります。以前は酒屋だったのですが、外観はそのままに内側に少し手を加えています。シンプルなベーシックアイテムと、そこでしか買えないようなクレイジーなリメイクアイテムを扱っています。
今までで一番好きなデザイナーは誰ですか?
初期のヘルムート・ラングや90年代のマルジェラ、昔のヴィヴィアン・ウエストウッド、エディ・スリマンが手がけるものすべてが好きですし、エルメスも最高にクールです。
リサイクル品やヴィンテージ品から手作業で作られた作品も多く、立ち上げ当初からサステナビリティを強く意識されていたと思います。サステナビリティについて、どのようにお考えですか?
私たちはできるだけ長く、カッコよく着られる服を作ろうと努力しています。私たち自身も質の高いものを買いたいですし、自分が好きで幸せをもたらしてくれるものを買うのが一番だと思うんです。
そんな厳しい時代だからこそ、コレクションを通じて人々に伝えたいことは何でしょうか。
人と違っていてもいい、自分の道を進むのがカッコいいということです。
VINTI ANDREWS
Interview text_YASUYUKI ASANO