INTERVIEW WITH MAGNIF

ファッション雑誌の宝庫、MAGNIFを訪ねる。

神保町のすずらん通り商店街の中程に位置する雑誌の古書店MAGNIF。その黄色の窓枠の中には、年代も国籍もジャンルも分け隔てなく様々な雑誌が所狭しと並べられている。

店内に目を凝らせば、一つの時代を断片的な情報から決めつけてしてしまう昨今に対し、静かに抵抗するように隣り合う本棚が緩やかに紐付いていて、そこに流れる文化的な厚みを肌で感じ取ることができる。

店主の中武康法さんは、2009年のオープン当初からファッション雑誌を中心にアーカイヴの機会に乏しかった書物を収集、販売し続けている人物だ。今回のインタビューでは、ファッション雑誌についてはもちろんのこと、パーソナルな質問にもお答えていただいた。

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幼少期から古本に興味があったのでしょうか?

昔から古本に関心があったという訳ではないですね。大学から近いという理由で神保町の古本屋で働き始めたのがきっかけです。次第に昔のファッション雑誌に興味を持つようになり、ゆくゆくは自分で雑誌を集めたお店を作りたいと思うようになりました。

大学では何を専攻されていたのでしょうか?

今のお店からも近い明治大学で英米文学を学びました。元々、シェイクスピアなどのお芝居が好きで高校時代はずっと演劇をやっていました。ただ、大学に行ったのもそこまで信念があった訳ではありません。とにかく東京に行きたかった、というのは間違いないです。

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ファッション雑誌に惹かれるきっかけとなった本はありますか?

いくつかあるのですが、一つは1980年から一年間、横尾忠則さんがアートディレクションを担当していた『流行通信』です。すごいこだわりが詰まっていてファッション雑誌のヴィジュアル的な面白さに気付かされました。見た時に既成概念というか、自分の中の80年代に対する思い込みを全部取っ払ってくれる感じがしましたね。

ご自身のファッション遍歴はどのように歩まれたのでしょうか?

正直、私自身は人様に語れるようなことは全くないですよ(笑)。ファッションというよりも常に音楽が先にありましたね。中高生の頃にラジオで耳にしたビートルズがきっかけで、ロックに目覚めてからはジョン・レノンの真似事をしていました。『アビイ・ロード』で着ていた白いラッパズボンが気になって調べてみたりとか、よく被っていたキャスケットを探し回ったりしましたね。でも、それってファッションというよりはコスプレみたいな感じですよね。色々と服屋を回りましたが宮崎ではお洒落な洋服を買えるお店は本当限られていましたね。東京に出て来てからは、こんなにお店があるのかと驚きました。

当時は、お店を特集した雑誌もたくさんありましたね。

『BOON』 や『ASAYAN』『MEN'S NON-NO』とかですよね。原宿の中でも更に狭い地域のお店を紹介したりしていました。お店紹介だけで構成された本もたくさんあって、そういう本たちを田舎から眺めては憧れていましたね。

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地元のコミュニティやご家族の影響はありましたか?

すごくはっきりとした影響という訳ではないのですが、宮崎の実家は昔ながらの亭主関白だったので親父が決めたことは絶対という感じでした。ですので、父親が観ているテレビを皆で観続けるというような家庭でしたね。ただ、その中でも例えば金曜ロードショーで上映されていた『007』や『ダーティハリー』など昔の男っぽい映画を父親と一緒に観ていて、すごく面白かったという記憶があります。

音楽やファッションに関してもお父様の影響があるのでしょうか?

それはあるかもしれませんね。よく親父が車の中でかけていたのが八神純子など今でいうシティポップと呼ばれる音楽でした。親父は、そんなに喋る方ではなかったのですが、やっぱり車の中はすごく家族が凝縮された空間でしたね。服もこだわってない分、一張羅でした。VANなどのブランド品ではないのですがカーキ色のスイングトップをずっと着ていて、そこに自分も影響されている気はします。何であんな襟の形をしているんだろう、とか思っていましたね(笑)。そういった一面から「男は一生物を身に付ける」みたいな感覚が自然と刷り込まれていったのかもしれません。

ご自身でも音楽が趣味で今現在もドラムを演奏されていると聞きました。音楽に特化したお店を作るという選択肢はなかったのでしょうか?

ある程度、お店としての個性がないとダメだなと思っていて、神保町という町の中で自分の役割は何だろうかと考えた結果が今のお店です。音楽に関しては、他の店が何十年も前からやっているので被る訳にはいかないなと。それに、音楽は聴ければいいというのがありますね。

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オープン当初から取り扱っている雑誌はありますか?

60年代の『MEN'S CLUB』ですね。いわゆるアイビールックに代表される古いスタイルが載っています。音楽や映画も古いものに興味があったので、自分が考える60年代のイメージがそのまま雑誌の中にあって、その全体がカッコいいなと思っています。

店頭には、1950年代から90年代までの雑誌を中心に取り揃えてありますね。取り扱う雑誌に基準はありますか?

唯一のコンセプトは、「今カッコいいとされるものに関わらず幅広く扱う」です。ダサいと思われていたイメージが急にカッコよくリバイバルされることは多々あって、そこが雑誌の面白さだと思います。もちろん、狭い店なので集める雑誌は色々選んではいますが、モードもトラッドもストリートも一通り揃えようとは思っています。そのこだわりのなさがこだわりと言えるのかもしれません……。

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陳列に関しては、カルチャーに紐付けられたブロックや国毎にまとめられたエリアなど空間が編集されていますね。

自分でお店を運営する中で積んできた経験が大きいですね。例えば『MEN'S CLUB』の横にアメリカで創刊されたメンズマガジン『ESQUIRE』を並べてみたり。国や年代が違っていても分かる人が見たら根底は同じだと気付いてくれるのです。そこは、今でも色々と学んでいる途中です。結局、手探りですよね。

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お店を開かれた2009年頃には、ファッション雑誌の相場は固まっていたのでしょうか?

当時は、古ければ高くて新しければ安いというような大雑把な値付けが多かったですね。自分も他の古書店が扱っていない雑誌やあまりインターネットに情報がない本にも値段を付けてきたので、重要と供給のバランスは常に考えています。例えば『POPEYE』は70年代からずっと続いている雑誌ですが、意外にも70年代の号は市場によく出ています。恐らく、当時は大切に保存して繰り返し読んでいる人が多かったのでしょうね。その後の年代になってくると色々な雑誌が創刊されていた時代だからでしょうか、読んでしばらくすると捨ててしまうという流れがあったので、特に90年代の号は中々出てこないのです。

『POPEYE』の中でも特に印象に残っている号を教えてください。

1991年の「ニューイングランド・コンフォート」という特集が印象的ですね。ニューイングランドは、イギリス人が最初に入植して来たアメリカのエリアで、その最大の都市ボストンがアイビーの故郷的な場所です。現地取材もされていて、スタイリングもすごく普通の格好だけど少しゆったりとした感じだったり、着崩した感じだったりと今現在のファッションの発端がある気がします。90年代は、ものすごく過去な訳ではないですが、かといって最近でもない年代です。その間の感覚に何かグッとくる部分がありますね。

例えばルックブックなど、無料で配られていた冊子なども買い付けされているのでしょうか。出版コードがない本は、図書館には置いていなかったりと手に取りづらい状況です。

実はその領域は、私が今後頑張ってやりたいところで、実際に買い取ってはいるのですがそこまで手が回っていない状況です。ただ、結構前から課題にはしていますね。値付けに関しては、インターネットなどを頼りつつも、自分の感覚で付けようと思っています。やはり昔のブランドのカタログは、自分たちが作りたいイメージを自らの手で心血注いで作っていたと思うので個性的でカッコいい本が多いですね。

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プライベートでの本のコレクションはありますか?

私自身はないですね。すごくいい本に出会った時でも真っ先にどう店頭に並べるかを考えてしまいますね。

今でも探し続けている本はありますか?

いつでも何かしら探していますが、ニュー・ウェイヴ系の雑誌は気になりますね。

羽良多平吉さんがデザインされている『JAM』や『HEAVEN』なども年々手に入りにくくなっていますね。

その辺は、大好物ですね。『WET』などの大判雑誌もすごく好きです。後は『FAÇADE』の表紙がミック・ジャガーで裏表紙が山口小夜子さんの号なんかも探しています。いくら出しても買いたいと思う本の一つです。

特に自販機本などは、誌面の表現においても独特な熱量がありましたね。

昔は、不思議な雑誌がたくさんありましたよね。広告だけで構成された雑誌など面白い本が売られていました。どの位流通していたかは分かりませんが、そういう変わった部分にも惹かれますね。今は理屈が前にきているというか、目的があって作られているといいますか……。

『POPEYE』や『MEN'S CLUB』などは、時代が移り変わっても普遍性を維持しており核の部分が継承されているイメージです。一方、先ほどお話に上がった横尾さんがデザインされた『流行通信』やニュー・ウェイヴ系の本は、その時代、その瞬間でしか捉えられない事象を追うところに主軸があったのかと思います。後者の本の魅力はどのような部分にあると感じますか?

その瞬間の儚さも含めて時代が凝縮されている感じが面白いですよね。雑誌には、本当に様々な要素が詰まっています。広告なんかにも当時の風俗を感じますし、特集やコラム等の情報はもちろん、ロゴ、フォントなど雑誌を構成するパーツの数々が当時の流行と密接に繋がっていると思います。テキストやヴィジュアルを通して当事者のような感覚でその時代の瞬間瞬間を追体験できるのもまた雑誌の魅力だと感じます。

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過去から現在に至るまでに誌面の在り方はどのように変化していったと感じますか?

やっぱり昔の本はお金が掛けられたという面も大きいとは思いますが、大勢のスタッフが足で稼いで作ることから生まれた熱量を感じますよね。『POPEYE』にしても、一つ一つの記事を色々な人が書いていて、その人たちがまたその後に別の雑誌を立ち上げたりしていますね。今は、より少人数で作るプライベートな感じになっている印象です。もちろん、その良さもあるとは思っていますよ。

確かに一つの雑誌の中にも内外の人間関係や時代模様が反映されていますね。

象徴的なのは、『ANAN』の81年の号で見出しが「原宿にあきた!」です。自分たちで原宿を盛り上げておいて、自分たちでいきなり落とすみたいな感じで。そういった振れ幅も雑誌の見所ですよね。少し前にINSTAGRAMで投稿した際も反応が大きかったです。

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SNSで発信する上で心掛けていることはありますか?

そもそも雑誌自体、自分が作った訳ではないですから。作り手の人が嫌になることは絶対したくないですね。INSTAGRAMはタグ付けできる数が決まっているみたいなのですが、携わっているスタッフは可能な限り載せたいと思っています。

その他にも一つの投稿にテーマを設定されているなどかなり編集されている印象です。

その雑誌の背後にある同時代性や象徴的な人物や現象など面白いポイントを切り取るように意識しています。ただ、“懐かし画像コレクション” みたいには絶対にしたくないので、必ずその表紙と主な内容をとりあげて、一冊の雑誌としてのカタマリは崩さないようにしています。また、“この時代はこうだった~” みたいな断定もしたくない、というかそれは自分の役割ではないと思っているので、説明書きは控えめにしています。記載したタグで想像してもらえたら嬉しいです。

神保町の中でもMAGNIFさんは、本好きと服好きが交差する場所でもありますね。やはり、お客さんにもスタイルがある方が多いのでしょうか?

ファッションは、その人の趣味性など内面に関わっているところがあると思いますが、本に関しても似たような部分があります。例えば、常連の70年代のモード雑誌が好きなお客様はファッションも完全に繋がっていますね。全体的にスラッとしていてちょっとフレアしたパンツを履いていて『L'UOMO VOGUE』などをサラッと買われるような方です。雑誌自体がその人の血肉になっているのだなと感じます。後は『MEN'S CLUB』などアイビールックが好きな人は、夏の暑い時でもスーツをビシッと着ていらっしゃいます。自分の世界観に合う本を探しに来られる方はたくさんいますね。

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これまでに接客された中でも特別な出会いはありましたか?

毎日様々なお客さまに支えられていますが、やはり、自分が読んでいた雑誌の“中の人”と対峙した際は緊張が走りますね。それはファッションモデルだったり、デザイナーだったり、編集者だったりしますが、そういう方々に今の自分の仕事が認められるならば、本当に励みになります。

アルバイトをされていた時代から今まで、多くの時間を雑誌と共に過ごされたと思いますがご自身の中での変化した考え方などはありますか?

これは昔からそうなのですが、目の前にあることをその時その時でこなしてきたという感じなのです。本棚もそうで、試行錯誤しながらも必要に応じて徐々に増やしていきました。ただ、今はどういう棚で何が必要か分かってきたので、できることならひっくり返して一から並べ直したいですね(笑)。

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マグニフ

東京都千代田区神田神保町1-17
03-5280-5911

http://www.magnif.jp

https://www.instagram.com/magnif_zinebocho/

Interview text_ SHINGO ISOYAMA
photography_ DAISUKE HAMADA